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2015年2月25日 / misotukuri

映画「パラサイト・クリーチャーズ」のゲテモノ度

 映画「パラサイト・クリーチャーズ」(13年、オーストリア、マーヴィン・クレン監督、ゲアハート・リーブマン、エディタ・マルヴチッチ他)を見た。
 どうせゲテモノだろうと思いながら見ていたら、なかなかやるね、この映画。
 クリーチャーが出てからのスピード感があっていい。日本映画のようにモタモタしていない。
 急速にキメラを作っていく新発見の生物の危険性よりも、科学者としての功名心に負けて事態を手遅れにしてしまうまでの展開は、非常に説得力がある。
 ジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」は、南極という舞台設定だったが、オーストリア・アルプスでこんなクリーチャーが出現したら、瞬く間に個体数が増えていくだろう。
 恐いのは、昆虫類だろうな。
 むかしのSFTV ドラマ「スターゲイト/アトランティス」に出てくるレイス(捕食昆虫と人間のハイブリッド)みたいなのが進化したら、人類はまず勝てないだろう。
 我々の知性というのは基本的にはスタンド・アローン・タイプだが、近年のネットワーク環境の進展を見るにつけ、その進化の方向は昆虫型の集合知性にあるように思えてならない。
 ネットワーク型民主主義の究極の形態は、「連環宇宙」(ロバート・C・ウィルソン)で描かれた大脳辺縁系民主主義と大脳中枢系民主主義だろう。
 しかし、この映画のようなキメラを作ることによる人類の進化もあり得ると思った。
 人類の進化というのは、この映画制作者の意識にあることではないと思うが、生物的には人類は現在その岐路に立たされているのかもしれない。
  自ら進化させるか、進化のはしごを作り出しただけで、その使命を終えるか、という。 
 この映画は、地球上に生み出された生物の優れた能力を寄せ集めたスーパー・ハイブリッドを作る願望と変化することへの恐怖とがない交ぜになっている。
 ラストの安楽死させた愛犬から生まれたおとなしそうで可愛いキメラは、多分、主人公と愛犬とのハイブリッドみたいで、それを殺すに忍びず下界に連れ帰るのだが、ヨーロッパ人の優生思想ではこれはノー・プロブレムなんだろう。
 なぜ他のキメラはダメで、このキメラだけは生存が許されるのか?
  日本人としては、その理由をきちんと説明して貰いたい。
  愛犬への愛ゆえか、美しくて優れて良いキメラだからか?
 このシーンに私は強い違和感と危険性を感じる。
 ところで、どーでもいいけど、主役が禿げ頭なのに違和感を感じるのは日本人だからだろうか?
 まあ、ジェイソン・ステイサムのようなビッグもいることだし、関係ないか。
 この映画、SFとしてはキメラを作る新生物の由来の説明がないし、環境テーマの作品としても環境破壊の象徴というメッセージ性もないし、単なるB級モンスター・パニック・ホラーものだな。
 見る価値は、ウーン・・・難しいな。
 「エイリアン」や「遊星からの物体X」などとは比較にならないが、まあ、見る角度によっては面白いんじゃないかな?
 では。

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