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2015年2月28日 / misotukuri

議論するだけ無駄-「原発再稼働と日本のエネルギー政策」

  今日は孫のお守りをしていたので、先ほどようやく、録画してあった「朝まで生テレビ」(2015年2月放送分)を見終えたところ。
 テーマは「原発再稼働と日本のエネルギー政策」だったが、なかなか面白かった。
 議論は、ほとんど原発再稼働是か非かで終始した。
 私の見るところ、再稼働賛成派の議論が論理的で説得力があったが、最後に発表された視聴者のアンケート結果では84%が再稼働反対ということで、勝負は再稼働反対派の圧勝に終わった。
 どんな賢しげなお話より、情緒的な話の方に大衆はついて行くものだという典型的なケースだった。
 今回の福島第一原発の高濃度汚染水問題にしても、冷静に考えれば、大げさにもほどがある話だが、それを言っちゃお終いよというより福島の人々の手前許されないという雰囲気があって、どこまでも空気が支配する国だなあとつくづく思った。
 線量計にGPSをつけてもらうということが、福島の人々を実験台にしてけしからんというのと、安全に寄与することだから実験台のどこがいけない?という議論が出て、田原総一朗の「福島は実験台だと思う」という不規則発言も飛び出した。
  あえて刺激的な言葉を使って本質に切り込む彼の手法は、私などもよく使ったものだが、誤解されると言うより、陥れられやすい手法。
  それでも、福島出身の人に「実験台などと言われるのは悲しい」と言われてみれば、一瞬黙り込んで、「次行ってみよう」と議題を変えるしかない。
 原発問題では、典型的安全神話の裏返し状態が続いている。
 今や原発危険神話だね。
 安全神話も危険神話も本質は同じ。
 現実を直視することよりも、自分たちのコミュニティで作りあげたストーリーを大事に守ろうとする。
 インカ帝国がわずか180人のピサロ軍勢の前に滅び去ったのは、異文化との衝突の経験のないインカ帝国側が、彼ら独自のルールで戦ったからだと言われている。
 ピサロは、そんな「お公家さんの戦争」みたいなルールなど、はなから無視したのだ。
 その辺りインカ人によく似ている日本人には他山の石の話なのだが、いまだにわかっていない人間が多すぎる。
 日本のエネルギー政策をどうするかなんて、原発再稼働の是非以上に、原発反対派とは議論に全くならなかった。
 話するだけ無駄という感じ。
 これだから、日本人ってダメなのだという愚痴は言うまいと思うが・・・
 では。

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