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2015年4月1日 / misotukuri

映画「シンプルメン」の困った父を訪ねて三千里度

  今日は4月1日。エイプリルフールでもあるが、新年度の開始日でもある。
 労働者諸君、元気に労働してるか?
 当方、今日はお天気がイマイチなので、お花見は一時中断。
 明日も明後日も用事があるし、土日も多分孫のお守りでダメ。
 これから山の桜が呼んでいるというのに、なかなかうまくいかないものだね。
 こうなりゃ、空いた時間、録りためた映画でも見るとするか。
 というわけで、見たのが、「シンプルメン」(92年、米、ハル・ハートリー監督、ロバート・ジョン・バーク、ビル・セイジ他)。
 これって、ホントに23年も前の映画?と思うほど、今日的。
 少しマヌケな犯罪者のビルと真面目な学生のデニスの兄弟は、元大リーガーの名選手で今は国防省爆破事件の犯人として逃亡し続けている父を探す旅に出たのだが・・・
 昔は、マルコ少年のようにアルゼンチンへ出稼ぎに行ったきり音信不通になった母を訪ねてイタリアはジェノヴァから海を越え三千里を旅した話が感動物語になったものだが、母を父に、少年を大人になりきれない青年に置き換えてみたら、感涙「クオレ」には絶対なりようがないこの可笑しさよ。
 犯罪者ばかり好きになってしまう献身的な美女とか、てんかん持ちのイカレた親父の情婦とかシニカルでわかったふうの講釈ばっかり垂れてる警官とか、革命のプロパガンダ論文をまるでコーランを詠むようにシンパに追唱させるカリスマの父とか、とにかく全て何かのアレゴリー、カリカチュアだと思うのだが、ほぼ四半世紀も前の映画なので、その時代的意味が今ひとつわからない。
 わからないけど、この映画の影響を受けたと覚しき日本のTVドラマは最近いくつも見た。
 要するに青春遍歴教養小説(ビルドウンクスロマン)の変形だが、自分が今の迷妄から抜け出てしっかりした大人になるためには、模範にならない困った親を探して見極める必要があると思わざるを得ないところが今日的なのだ。
 導く者のどうしようもないクソ加減に導かれる者のどうしようもないアホさ加減とでも言おうか、例えば、こういうのに人生相談されたらホントどうしたらいい?
 お前らね、もっと自分で哲学でもしてみたら?と言いたくなるね。
 そういう映画だ。
 ホントにこれって23年も前の映画なの?だとしたら、ある意味、スゴいな。
 では。

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