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2015年4月9日 / misotukuri

映画「ガタカ」の遺伝子エンハンストメント度

 映画「ガタカ」(97年、米、アンドリュー・ニコル監督、イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウ他)を見た。
 この映画、「完全な人間を目指さなくてもよい理由 遺伝子操作とエンハンスメントの倫理」(マイケル・J・サンデル著)で紹介されていたものだが、まだ頭の整理がついていない。
 こういうのは、いわゆるシリアスSFと言うのだろうな。
 現実は、例えばアラブ馬とサラブレッド馬とが競馬で戦ったら、サラブレッドが100戦100勝どころか、アラブが勝つなんてことは万に一つもないように、遺伝子操作でエンハンストメント(増強)された人間と自然出産で生まれた人間とでは勝負は目に見えている。
 しかし、その万に一つの奇跡が起きたときの感動、たとえそれがヤラセであっても、その感動のクオリティというのはどうなんだろう?
 と、そんなことを考えてしまう映画だ。
 少し長いが、あらすじをほとんどコピペで紹介すると、次のとおり。
 <DNA操作で生まれた”適正者”だけが優遇される近未来社会で、自然出産で生まれ劣性遺伝子を持つ人間は”不適正者”として差別されていた。
 そんな”不適正者”として生まれたヴィンセントは、宇宙飛行士になる夢を抱いて家族のもとを飛び出し、宇宙局「ガタカ」に清掃員として働く傍ら、必死に宇宙飛行士になるための勉強をして「ガタカ」の正社員の採用試験に臨むが、努力のかいなく最初の関門のDNA適性検査で簡単にはねられてしまう。
 だが、窮すれば通ずで、裏口入社を助けるDNAブローカーの存在を知り、その紹介で事故により脚の自由を失った元水泳金メダル候補の「適正者」ジェロームから生体ID(血液や指紋など)を買い取り、生体偽装によりジェロームになりすます契約をし、なんとか宇宙局「ガタカ」の正社員となることに成功する。
 そして、努力の結果ついにヴィンセントは念願のタイタン探査船の宇宙飛行士に選ばれるが、出発間近に上司が何者かに殺された事件現場で「不適正者」ヴィンセントのまつ毛が発見されたことから正体発覚の危機が訪れる・・・・>
 この映画、近未来サスペンス・SF映画としてよく出来ていてなかなかおもしろいが、もちろんサンデルや私もこの映画のドラマ性にはあまり関心がなく、遺伝子操作について歯止めのなくなった近未来社会とそれに対する現在の大衆の反応の方により関心がある。
 遺伝子操作については、安全性に問題はなくても、他に問題点はいろいろある。
 倫理的問題、格差拡大などの社会的問題、抜け駆け的にどんどん進行していくという現実的問題等々。
 中でも、人間機械論的な認識が常識として広まるにつれ、役に立たなくなった人間は、ホレス・マッコイの「彼らは廃馬を撃つ」ではないが、自他ともに終わったものとして捉えられるようになる。
 脚を折った愛馬を撃ち殺すとき、飼い主は、愛馬との別れを悲しみながら慈悲の気持ちでそれ以上苦しまないよう一撃で殺してやろうと思う。
 愛馬も人間並みの知恵があれば、これまで主人と共に達成してきたことを誇らしく思いながら、終末段階にいる自己の運命を悟り、早く終わらせてくれと思う。
 しかし、両者がどう思いどう感じようと、そしてそれが真実だろうと幻想だろうと、馬を機械のように捉えているという点では変わりない。
 修理が効かないなら廃棄するしかないというだけ。
 馬が人間でも、それがわが子でも、あるいは自分でも、それでいいのだろうか?
 遺伝子操作された適正人間は、それでいいと思うし、自然に生まれた不適正人間は、違うと思う。
 ヴィンセントは、万に一つはやっぱりないかもしれないが、あろうとなかろうと自分で限界を決め、引き返そうなどとは思わないことだと言う。
 不適正者の彼の挑戦が失敗に終わろうと成功しようと、遺伝子操作の現実が変わるわけがないが、人間としての生き方としては適正者のジェロームより自律的だといえる。
 適正者のジェロームが自律的に行った最後のことは・・・・だった。
 だが、映画はそうでも、遺伝子操作されているからといって自律性が低いことはないと思う。
  自律性も遺伝子操作でどうにでもできることだろうからだ。
 では。

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