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2015年5月20日 / misotukuri

映画「ビューティフル・マインド」と「沈黙の惑星」のこれは現か幻か度

最近、見る映画見る映画で何か共通のパターンがありそうな気がしている。
こういうことを考える人というのは、統合失調症(精神分裂病)に多いので、要注意なのだが、実は天才には統合失調症の人が多いのも事実。
だからといって、自分が天才だと思っているわけではないのだが、やっぱり、気になって、ネットでIQテストをしてみた。
ガーン!ショックだねえ、ものすごく知能が落ちている。
これでは、とてもじゃないが、密かに天才を自負できる数値ではない。
ま、そんな前置きはどーでもいいとして、一昨日、天才の映画を見た。
ゲーム理論創始者のジョン・ナッシュの半生を描いた「ビューティフル・マインド」(01年、米、ロン・ハワード監督、ラッセル・クロウ、エド・ハリス、ジェニファー・コネリー他)。
感想は?うーん、この統合失調症は壮絶というか、生やさしいものじゃないね。
ここまでリアリティに満ちていると、現実か幻覚か意識しない限り区別がつけられないだろう。
ナッシュが、「この少女はおかしい。幻覚だ。いつまでたっても歳を取らないもの」と言うシーンがあって面白い。
それにしても、人生の重要なかなりの部分が幻覚だったとは!
統合失調症は時空間の認識が正常に機能しない病気というが、なるほど極めてSFに親和性のある病気だ。
先週からちょびちょびイギリス古典経験論の掉尾を飾る思想家デイヴィッド・ヒュームの「人生論」を読んでいる。
これまでのところ、現代でも議論に疑問を挟む余地のない内容だと思うが、これとジョン・ナッシュのような統合失調症患者の幻覚とどう折り合いをつけるかが難しい。
ヴァーチャル・リアリティ、人工知能の学習などを思い浮かべながら、ヒュームを読むと非常に刺激になる。
そして、今日見たのが、「沈黙の惑星」(08年、米、フィリップ・ハドソン監督、ボー・バリンジャー、ケネス・シアーズ他)。
これぞまさしく、何が現で何が幻覚か全くわからないまま、最初から最後まで話が進む宇宙戦争。
幻覚というのは眼前のまがうことなき現実の中に紛れ込んで区別が付かないからやっかいだ。
まるで光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」に出てくる幻覚兵器を使った戦争みたいだ。
精神操作兵器、あるいは能力と言っても良いと思う。
この映画のレヴューを読むと、評価はおおむね散々なようだが、私はそれほどでもないと思う。
この映画、確かにかなりの低予算で作られているようで、CG映像などなにこれと言いたくなるようなチープ感は否めないが、それがどーしたというんだよね。
内容的に優れていればいいじゃないかと思う。
そんなもの、オリジナルの今の水準からは笑いたくなる円谷英二の特撮「ゴジラ」より最新のCGを駆使した「GODZILLA」の方が映画として優れているとか言うようなもので、物事の本質を見る目を失っている。
ドラマ的にも、信じていたストーリーが実はこうだったと後からされる説明が、すぐにまたひっくり返され、また別の思いもよらない説明がなされるのだが、それもまた違うという具合なので、単純なSFアクション・ストーリーを期待している人にはごちゃごちゃしているというか理解するのが少々難し過ぎたのだろうと思う。
結末も果たしてハッピー・エンドかどうか、私にはまだよくわからなかった。
運んできた兵器が、絶滅に追いやる猛毒ウィルスなのか、テレパシーをもたらすものなのか、あれではわからない。
この「沈黙の惑星」の中で、洞窟のような部屋に裸で閉じ込められ、影絵のような宇宙人の姿を見るシーンが何度か出てくるが、これはプラトンのイデア論「洞窟の比喩」そのもの。
眼前の光景が現実かあるいは幻覚かを知るのは本当はなかなか難しいことだが、人間はそれでも最善と思うことを選択しなければならない。
そういうことをこの映画は教えてくれる。
映画「インセプション」ではないが、時々、そっと駒を回してみなければならない。
それでも、わかるかな?わかんねーだろな?
この映画、SF小説「ドリームマシン」(クリストファー・プリースト)のように、そもそも集団幻想(夢)かもしれないではないか!
では。

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