Skip to content
2015年7月27日 / misotukuri

「スナーク狩り」の淡い期待と不可解な衝動

「スナーク狩り」読了した。  
宮部みゆきのじゃなくて、本家本元のルイス・キャロル(種村弘訳)のだ。  
しかも、挿絵が、ムーミンのトーベ・ヤンソンとくるから泣けてくる。  
ラファエル前派のヘンリー・ホリデイの挿画も見てみたいが、トーベ・ヤンソンの絵も面白い。  
本文は、英語の散文詩でしかも韻文というから、翻訳に期待は出来ないが、上手く訳せているのではないかと思う。  
「同じことを三度云ったら現実になる」という皮肉な言葉が何度も出てくるが、言霊の幸う国の我が国ではむしろそれが当たり前。  
大方の日本人というのは現実を見ようとせずイメージに左右される。  
それは日本人に限らないことだろう?と言うかもしれないが、違うのだ。  
ルイス・キャロルは揶揄して言っている。  
ところが、日本ではそれが大真面目に受け止められ、むしろ民族のうるわしい特質として、誇らしげに称揚される。  
何という倒錯。  
これは日本の文学者達の悪影響だ。  
文学というのは、感情に訴えかけるものだから、言葉を呪術的に駆使できなければ何の価値もない。  
だが、それは要するにロマン主義だ。  
それは客観的には無価値の物を主観的に非常に価値ある物として扱うことに美を見出すというか、思い込む考え方。  
つまり、現実よりそれに抱く自分勝手な幻影(イメージ)に殉ずる主義。  
そういう美学は解るが、それはあくまでプライベートな芸術の世界でのこと。  
戦争でそれをやったらお終いだ。  
戦争でなくても、お金のことや肉親の認知症患者の介護のことでも、同じだ。  
何かをしようとする前に、自分が主観的すぎないかどうかは、こうすれば解る。  
自分の行動についてきちんとした説明が出来るかどうかだ。  
この「スナーク狩り」の登場人物+一匹は、職業や社会的地位がどうであれ、どいつもこいつもどうしようもないアホばかり。  
実体の不明なスナークをつかまえに行くのだが、何故、そうしなければならないのか、誰も説明出来ない。  
それが何だかよくわからないが、つかまえたら何かいいことがあるのではないかという淡い期待とつかまえたいという不可解な衝動があるだけ。  
ルイス・キャロルが、お前達の人生なんてそんなものだと嘲笑っているのに、その比喩が解らない。  
それとも、自分は違うとでも思っているのだろうか?  
まあ、教養を積むためにこういう本も一読しておくと、「まあ、あなたって、とてもインテリなのね、尊敬しちゃうわ」という目でうっとりと白痴美人に見ていただけるかもしれない。  
淡い期待に気の進まぬ衝動をかき立てて読了した。  
では。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。