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2015年9月2日 / misotukuri

東京五輪エンブレムの集団潔癖ヒステリー度

まったく、アホかと思っていたら、瞬く間にアホが蔓延した。
東京五輪エンブレムのパクリ疑惑問題のことだ。
典型的集団ヒステリーだね。
ボクシングの亀田親子バッシングでも感じたが、このド素人の潔癖ヒステリーはいったい何かと思うよ。
デザインなんて、ボクシングなんて、所詮、そんなものという玄人には通じることが、(素人の)国民の理解を得られない。
ホンマにヒスにどない言うてもアカンわ。
問題は、著作権とか意匠権とかが、ネット時代では存続が無理な権利だということが露呈されたということなのに、どいつもこいつもパクリ論争に堕している。
パクリ、コピペで何が悪い。
博士論文だって同じこと。
博士という制度そのものが今や無意味になっているということなのに。
だいたい、それがいけないという根拠を合理的に説明出来るのか?
ボクシングなんかの国際的スポーツで八百長はいけないと言うが、何故いけないかはきちんと説明出来る。
それは、八百長をやられると賭が成り立たないからだ。
だが、賭博が禁止されている日本の日本人にはそのことがわからない。
大相撲の八百長だって、プロ(相撲界関係者)の常識では許されていることだった。
だって、同じメンバーで戦っている興行だもの。
あ・うんの呼吸だよ。
だが、その(玄人の)常識が(素人の)国民には理解を得られない。
何故、八百長がいけないのか、合理的説明も出来ないド素人がアホくさいことを潔癖症のヒス女みたいにわめき立てて困ったことになってしまう。
伝説や神話を理解しないアホに何を言っても無駄だが、五輪エンブレムのデザインなんて、ひいき目でなく1964年の東京五輪エンブレムは見事だった。
ここまでくれば、デザインも後世に残る芸術だよ。
だけど、他の国でやった五輪エンブレムなんて、平凡そのもので全く印象に残らない芸術的価値0(ゼロ)のしろもの。
だいたい、デザインみたいなものに法外な大金の値段をつけること自体が馬鹿馬鹿しい。
デザイナーはとうの昔に死んでいて、そのデザインをしたわけでもないのに、未だにその人の名前で売っているブランド商品がいっぱいある。
ブランド商品に全く興味がない私には、金になるものとしてしかその価値は認められない。
ゴーストライターの話も同じ。
ゴーストライターがパクリをしたら、一体誰の責任になるのだろう?
また、本人の承諾なしに本人名義で偽伝記を書いたという実話もあるが、ややこしい話だ。
佐村河内守はバッシングされても山口百恵はバッシングされないのは何故か?
本質は同じでしょ。
ネット社会では、多数意見も少数意見もだからといってそれが正しいかどうかはわからないのだ。
だいたい、みんな権威が失墜したのを面白がって袋だたきにしているというだけだろ。
そのこと自体に何の意味もない。
その大義名分が不潔を罰するということで、まるでたなあげ音頭みたいにアホくさい。
ところで、「たなあげおんど」だが、昔聞いたのと曲調も歌詞も違ってるような。
オレの記憶のあれは何処へ行った?
著作権とか意匠権とか特許権とか、そんなものは金になるからそういう権利が生まれたのであって、金にならない時代は、せいぜい名誉権だった。
創作物などは人々の共有財産だった。
今でもコンピュータ・システムなどで、そういうのがある。
フリーかつオープンソースのOS、リナックス(Linux)などだ。
ネット社会のシンギュラリティがどうなるか予測不能だが、少なくとも、著作権とか意匠権とか特許権とかは消えてなくなると思う。
人類の進化のためには、またそうでなければいけない。
そうしないと、結局、金持ちでないと進化の恩恵に浴せなくなる。
パクリだの何だのと潔癖症のフリをして面白がって騒いでいても、それは一握りの金持ちを喜ばせるだけなのに。
では。

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