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2015年9月13日 / misotukuri

メイウェザー・ラスト・ファイトのあほくささ

録画してあったフロイド・メイウェザー・ジュニアVSアンドレ・ベルトを見たところ。
やっぱり、最後もKO出来ずに終わったね。
メイウェザーは、ラスト・ファイトこそはKOで決めてやろうと、打たれもろいアンドレ・ベルトを選んだのに、ダメだった。
メイウェザー2世と言われたアンドレ・ベルトは、一時の不調からすっかり立ち直ったみたいで、最近、復調めざましく、この試合でも大差はついたが出来はよかった。
メイウェザーのボクシングを評価しない数少ないボクシング・ファンである私だが、やはり49戦全勝無敗でチャンピオンのまま引退するのは素直に凄いなと思う。
彼によってボクシングが変わったのも事実だと思う。
だが、やはり、評価できない。
彼のボクシングは、的当てゲームのボクシングだ。
こんなのは本当のボクシングじゃない。
本当のボクシングとはなんぞや?
そういう議論は以前から何度もしてきているが、ようするに、彼のボクシングはいかにして相手にパンチを当てるか、そしていかにして相手のパンチをかわすか、の追求でしかない。
ボクシングというのは、他の格闘技と同じく、相手をいかにしてKOするかを追求するスポーツなのだ。
だから、一発一発打つパンチには、たとえ、それが空振りでも、KOにつながる意味がなければならない。
でも、メイウェザーのパンチにそんな意味があるか?
全くない。
だから、そんなボクシング、あんた本当に面白いと思ってるの?ということだ。
テレビ局のヨイショ・アナウンサーやヨイショ解説者に乗せられてるだけじゃないのか?
もちろん、プロの意見は違うだろう。
メイウェザーのように戦っても勝てるのなら、それでいい、だって、誰もメイウェザーに勝てないんだから、と言うだろう。
だが、本当のボクシング・ファンには、KOしない、できないメイウェザーの試合など、退屈極まるものでしかない。
49戦で辞めてくれてヤレヤレだよ。
TVドラマ「LAW&ORDER」でないが、刑事法体系に身を置く者にとって重要なことは、裁判での勝ち負けより、正義の追求だろう。
では、ボクシングはどうか?
勝ち負けより、KOの追求に決まってる。
メイウェザーのボクシングがある意味スゴイのはわかっているが、それなら何故相手をKOしないのだ?
それは、KOしなくても十分ポイント勝ち出来るからだ。
つまり、彼のボクシングは勝ち負けに拘りすぎで、ボクシングの本来のあり方を忘れている。
ボクシングのポイントの一番の優先事項は、有効打であることだが、メイウェザーのようなパンチは各回ごとに差をつけて引き分け試合を少なくしようとする10ポイント・マスト・システムの弊害だ。
極端な話、ダウンがなければ、10-10でいい。
こうすると、メイウェザーの戦績は49戦無敗であることは多分変わらないだろうが、全勝ではなく、引き分けが多くなるだろう。
二階級制覇チャンピオンで、チャンピオンのまま、妻を殺し、自殺したエドウィン・バレロは27戦27勝(27KO)だ。
彼のようなボクサーこそ、最高のボクサーと言える。
人間としては破滅型の人間だったとは思うが。 

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