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2015年9月26日 / misotukuri

SEALDs(シールズ)、60年安保そして70年安保のあほくさ

  一応、今月の朝生を見ての感想だと言うことをあらかじめ断っておく。
 SEALDs(シールズ)の活動と60年安保闘争そして70年安保闘争との比較だが、まず、岸→佐藤→安部とこの安全保障を巡る節目に一族の首相がいたと言うこと自体が偶然ではない。
 安保関連法の整備は安部さんでなければ、多分、誰も出来なかっただろう。
 安部さんだから出来たと言って過言ではない。
 SEALDsの奥田愛基は、日米安保条約がどうこうよりも安倍政権の非民主主義的政治手法が問題だと言っていたが、これは60年安保闘争の時の学生達の主張と岸が安部に変わっているだけで全く同じ主張。
 そして、60年安保闘争の時の彼らがどうなったか、民主党政権の時の幹部らの変貌がすべてを物語っている。
 安保反対と訴えた本人が、集団的自衛権を行使できるようにしなくても安保条約でアメリカが守ってくれるから、安保堅持だと言っている。
 集団的自衛権行使は違憲だと言ったほとんどの憲法学者が同じ調査でその7割が自衛隊は違憲だと言っているとか。
 そもそも自衛隊が違憲と思ってるんなら、先にそれを言えよと言う気になる。
 だって、議論するだけ無駄だから。ようするに、そういうことだ。
 私は、70年安保延長の時の全共闘と同世代だが、彼らは何で反対するのかなあ、馬鹿馬鹿しいと思いながら騒動を見ていたよ。
 ちょうど、世の中ベトナム戦争真っ最中で、反戦、反米気分が蔓延していたが、それでもそこには冷戦下のプロパガンダがあるということにはノンポリの誰もが用心していた。
 ヘビー級の世界チャンピオン、モハメド・アリが、「俺はベトコンどもには何んの恨みもねえぜ」と言って徴兵令状を燃やして捨てたとか、東大紛争でドス持った健さんが「止めてくれるなおっかさん背中の銀杏が泣いてるぜ」とさらしを巻いた背中を半身見せてるポスターとか、ヌーベルバーグのカリスマ、ジャン=リュック・ゴダールや大島渚らの難解な映画を見て、サルトルの実存主義を語り、今すぐ反体制・反権威の行動をしなければと煽られたものだ。
 反体制、反権威の最大の象徴が、アメリカ帝国主義だったわけだ。
 そのくせ、アメリカに押しつけられた憲法は後生大事に守る。
 この矛盾に私は今も耐えられない。
 どこに法学部の憲法の講義で、GHQ草案の英文と対照しながら勉強しなければならない国がありますか!
 そういうことに何とも不感症なのが日本の憲法学者というものなのだ。
 今月の朝生を見て、今後のSEALDsの活動がどのような栄枯盛衰を辿るか見ものだなと思った。
 奥田愛基が秋田明大のようにならないように祈る。
 オウムみたいな服装してた諏訪原健は政治家になるのかな。
 まあ、がんばってください。

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