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2015年10月12日 / misotukuri

「寄港地のない船」の幻の傑作度

 ブライアン・オールディスの幻の未訳傑作SFだった「寄港地のない船」ついに読了した。
 原題は「NON-STOP」または「STARSIP」(米国版)。
 これの翻訳をどれほど長い間待ちわびたものか!
 ただし、この翻訳の原本は2000年改訂版。
 ストーリーに変化はないということなのでこれで満足しよう。
 変な言い方だが、私はこの作品がSF史上ベスト・ワン小説に選ばれても反対はしないと思う。
 それにしても、何故これが日本で半世紀以上も翻訳されなかったのか不思議だ。
 だが、この作品が完璧かと言えば、もちろんそうではない。
 書かれた時代を反映している点で一番目につくのが、性愛描写かな。
 当時はまだSFというのは子供の読み物という認識が一般的だったことから、性愛描写はタブーだったのだ。
 SFガジェットへの不満は、いろいろ考えたが、結局、結論的にはこれで問題ないと思う。
 あと、ストーリーをバラすことになるのであまりはっきりとは言えないのだが、ひとつどうしても納得できない根本的な疑問がある。
 それは・・・、やっぱり、止めておこう。
 まあ、そんな必要があるのか?とだけは言っておこう。
 このSF小説は、いわゆるスターシップ(恒星間宇宙船)・テーマの作品で、このジャンルでは、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の孤児」という先行する超絶的名作がある。
 恐らく、これを超える作品は今なおないと言って過言ではない。
 「宇宙の孤児」は、恒星間宇宙船やその中の社会の設定が何もかも非常によく考えられていて、ほとんど疑問をはさむ余地がないということと、扱っている哲学的テーマが深淵だということで、まさに非の打ち所がないのだが、それ故、後発のスターシップ・テーマの作品を縛ってしまっている。
 スターシップ・テーマに挑む限り、「宇宙の孤児」とは違った作品にしなければならないからだ。
 この「寄港地のない船」も「宇宙の孤児」に対する挑戦だろう。
 それが成功したかどうかだが、ほぼ成功したと思う。
 だが、すべての謎が解けた後でも、この設定には根本的に疑問があって、こういうことは、時代設定が未来になればなるほど論理的にあり得ないと思うのだ。
 だが、それでもなお、この作品が優れた作品であるのは間違いない。
 「宇宙の孤児」は2つの中編でひとつの長編が出来ている。
 中編の一つは、「大宇宙」であり、もう一つは「常識」だ。
 特に、「常識」というのがなければ、これはよく出来たアイデアSF小説に過ぎないのだが、「常識」があるが故に古典的名作となった。
 「寄港地のない船」に「宇宙の孤児」における「常識」のようなものがあるかと言えば、多分、それは「裏切り」だろう。
 この小説は、設定以外は、破綻はない。
 設定への根本的疑問については、話したくてたまらないが、まだ読んでいない人のために黙っていよう。
 まさか、それがなかなか翻訳されなかった理由というのではあるまいが。
 では。

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