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2015年11月10日 / misotukuri

映画「ハンガー・ゲーム/FINAL:レジスタンス」の筋悪度

先日、WOWOWで映画「ハンガー・ゲーム/FINAL:レジスタンス」(14年、米、フランシス・ローレンス監督、ジェニファー・ローレンス、ジョシュ・ハッチャーソン他)を見た。
「ハンガー・ゲーム3」の前編と言うことらしいが、1はまだしも、2はヒドかった。
その3だからね。
しかも、1本にまとめられなくて、2本に分けるなんて、「キル・ビル」みたいだが、ヤング・アダルト向けには楽しいかもしれんが、オールド・アダルトにはウンザリだぜ。
ま、来年もまだ生きてりゃ、「ハンガー・ゲーム/FINAL:レボリューション」見てやっても良いがね。
このシリーズ、だんだんつまらなくなるのは、そもそも最初の世界設定が破綻しているからだろう。
「ハンガー・ゲーム」シリーズと似た「ダイバージェント」(14年、米、ニール・バーガー監督、シャイリーン・ウッドリー他)の方が、その点、もっと文明批評的で、世界設定がしっかりしていて、作品としてより優れていると思う。
どちらも、いったん核戦争で破滅した後の合理的に管理された新秩序世界に反旗を翻す話なのだが、「ハンガー・ゲーム」は圧政や暴政のローマ帝国が下敷きとなっており、ジェニファーちゃんのカットニスは、いわば、女スパルタクスみたいなもの。
ひょっとしたら、その上に、ジャンヌ・ダルクがオーバーラップするかも。
だが、「ダイバージェント」の方は、むしろ、反知性主義的なところがあり、密かに知的エリートによるアリストクラシー(哲人政治)を望んでいるくせに、善意を売り物にしているリベラルには自分たちが皮肉られているみたいに思えるのか受けが悪い作品だ。
「ダイバージェント」はいわば、「猿の惑星」の世界だ。
「猿の惑星」は、知的エリートのチンパンジーが暴力エリートのゴリラと結託して、オランウータンなど他のおとなしい猿たちを支配している。
だが、そのパワー・バランスは、人間という宇宙から来た猿のエリートなどの権威を認めない異端者によって、崩れていく。
「ダイバージェント」も全く構造的に同じ話で、批判の対象が圧政は圧政でも、合理的圧政なのだ。
これは、職能による階層化して行きつつある今日の文明社会に対するSF的な文明批評と言える。
その点、「ハンガー・ゲーム」はダメだ。
設定こそ核戦争による破滅後の近未来というSF的設定だが、中身はネロのようなローマ皇帝やヒトラーのような狂信的独裁者に対する批判で、何の今日的意味も無い。
原作はどうか知らないが、問題意識が古すぎる。

では。

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