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2015年11月17日 / misotukuri

孫は可愛いは自己愛の延長か?

孫ネタで恐縮だが、1歳4ヶ月の男の子の孫の歯磨きをしていて思ったこと。
離乳食を食べさせた後、歯磨きしようとすると、毎回、泣いて嫌がって口を開けようとしない。
そこで問題だが、このようなとき、あなたはどう行動するか?
1 歯磨きの大切さを認識して、あくまで歯磨きを習慣化させようといろいろな努力をする
2 (歯磨きの大切さはわかっているが、)歯磨きを嫌がっているのに無理強いはしない
もちろん、歯磨きをいくらしても、仕方の問題もあるし、毎回していたって虫歯にならない保証はない。
それに、じゃあ、子供の頃の自分はどうだったか?と言えば、自慢じゃないが、虫歯だらけで、笑った顔の写真は他人には恥ずかしくて見せられない。
そういう反省の上に、わが子を育てたので、全員、小学校卒業までは虫歯0(ゼロ)だった。
だが、孫はどうだろうか?
孫の虫歯の責任は、親にはあっても、祖父母にはないよなあ。
親に「歯磨きさせてよ」と頼まれている場合はともかくね。
ヨーロッパに初めて旅行で行ったときのことだ。
ローマのスペイン広場で、ミュージシャンが歌を歌っているのを見て、誰かが言った。
「いくら歌が上手くても、あんなに虫歯だらけの乱ぐい歯じゃあ、スターにはなれんよ」と。
思わず、吹き出したよ。
一流の芸能タレントやスポーツマンに虫歯の人はいないと言うが、確かに虫歯だらけのスターなんておらんよな。
男の子なら、「イチローや錦織になりたかったら、歯を磨け」と言えばいい。
昔、プロレスの神様と言われたカール・ゴッチが、親知らずかなんかが出来たとき、歯が少しでも悪ければ、歯を食いしばることが出来ないので、この際、良い歯もみんな抜いて総入れ歯にしたという話をプロレスの月刊誌で読んで、スゴイなと感心したことがある。
戦う男には、それくらい歯は丈夫でなければダメなのだ。
丈夫な歯と言えば、昔はみんな歯が強かったみたいだ。
名張毒ぶどう酒事件で王冠(栓)についた歯形がどうたらということを思い出したが、瓶ビールの王冠(栓)など、栓抜きがなければ、机の端っこか、歯で開けていたものだ。
出っ歯の奴がいると、「オイ、歯ぁ、貸せ」とか言ってた。
今じゃそんなこと言ったら、名指しでイジメられたとか書き置きして自殺されたりしかねない。
オッと、何の話をしていたのか・・・・途中でわからなくなるというのも認知症らしいが。
元に戻ろう。元に戻って、結論を急ぐのだ。
昔、NHKで、「結論を急ごう」という決まり文句のTV推理ドラマがあったね。
まあ、とにかくだ、・・・・そうそう、オレが結論的に言いたいのは、「愛」には「自己愛」の延長のような「愛」があるってことだ。
何?結論の急ぎすぎで、何のことやらよくわからない?
確かに孫はなあ、可愛い。無条件に愛してる。
孫もこっちを無条件に好きだと思ってくれているはず。
そんな孫が歯磨きを嫌がったら、どうするか?
あくまで、「歯磨きしようね」か、「よしよし、嫌ならいいよ」か?
私は、「よしよし、嫌ならいいよ」とは、滅多には言わない。
ときどき、頑強な抵抗に根負けして言うときもあるが。
と言うのも、「よしよし、嫌ならいいよ」と言うのは、孫に涙目で睨まれて嫌われたら嫌だと思うからだ。
それは「自己愛」の延長の「愛」で、孫を愛しているのではなく、実際は、孫の中の自分を愛しているのだ。
単に自分が心地よいことを追求しているに過ぎない。
こういうとき、これが親ならどうか?
わが子に、いくら嫌なことでも、した方がいいこと、しなければならないことを教えなければいけない。
逆に、いくら気持ちよくても、しない方がいいこと、してはならないことも教えなければいけない。
それが親のつとめだ、とオレは思う。
親は自分が子に嫌われることなど意に介さない。
そんなことで、本当にわが子に嫌われたりしないと確信しているからだ。
ところが、これが孫になると、ついついわが子の幼いときの面影を見たり、歌の文句じゃないけれど、「じいちゃんあんたにそっくりだね」とか他人に言われたりするものだから、無性に可愛い。
きょう日、別居も増えており、いつもいつもべたべたべったりしているわけでないから、たまに会ったとき、孫に人見知りなんかされて、泣かれでもしたら無性に悲しい。
だから、絶対、孫には嫌われたくないと思う。
ま、その気持ち、わからなくもない。
だが、それは子育ての直接的責任がないことから来る「自己愛」の延長の「愛」なのだ。
孫の中に愛しい自分を見ているにすぎない。
自分が孫を愛するよりも、孫に自分が愛されたいという思いが強すぎる。
「愛されるより愛する人になりたい」と言うではないか。
本当に孫を愛するなら、孫に嫌われることなど意に介さず、孫のためになることをするべきだと思う。
孫を他者として捉えて、愛すること。
つまり、「他者愛」だ。
子は、では、他者なのか?と言えば、他者であり、自分の分身でもある。
だから、私はわが子らに、私がつまづいたところを乗り越えて、更に行けるところまで先に行って欲しいと思う。
方向はともかく、レベル的に。
陰陽座の歌とはあまり関係ないけど、感じとしては、「わが屍を乗り越えて行け」か。
あれは、ミーム的な愛のことかな?
ムーミンでもユーミンでもないミーム。
ミームってのを知らない人は一度検索して調べた方がいいよ。
世界観が広がるから。
でも、私のは、ミームではなく、もっとDNA的な願いかな?
自分が虫歯なら、子は虫歯ゼロで育って欲しい。
孫は?
孫には、そこまで言えんだろ。
だけど、孫を愛するなら、当然、孫にも虫歯ゼロで育って欲しい。
一方、孫に愛されたいと強く思うなら、「おー、よしよし、イヤならええよ」だな。
それで本当に孫に愛されるか保証の限りではないが、当座は嫌われないだろう。
イヤなことは言わないさせないしないんだからね。
それでいいのかはともかく、また、馬鹿にされるかもしれないけど、少なくとも嫌われはしない。
同じようなことが、世の中には一杯あるよな。
何とは言わないけどね。
では。

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