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2015年11月20日 / misotukuri

映画「崖」の上なのか下なのか?度

 昨夜も録画した映画の整理をしていて、「崖」(55年、伊、フェデリコ・フェリーニ監督、ブロデリック・クロフォード、リチャード・ベースハート他)を見た。
 初期のフェリーニの作品は、どれも私好みで、「道(ジェルソミーナ)」、「崖」、「カリビアの夜」、「甘い生活」までは何というか、堕落者の自慰的心象風景を綴っているようで、見ていて切なくなる作品ばかりだった。
 センチメンタルと紙一重で、その時の気分によって、メロメロになるときと唾棄したくなるときがある。
 この「崖」でも、主人公は初老の詐欺師で、刑務所に出たり入ったりしている卑しい悪人。
 そんな彼が神父になりすまし金を騙し取った相手は不治の難病に苦しみながらも明るく有意義なことをして精一杯生きている貧しい農家の少女だった。
 彼は卑しい人間である自分に深く恥じ入る。
 だが、彼にも同じ年頃の娘がおり、働きながら学校の先生になるためもっと勉強したいと言う娘の進学に使うまとまった金が必要だったのだ。
 彼が立たされているのは、まさに人生の崖っぷちだ。
 ラストシーンの崖はその象徴。
 このまま崖の下に転落すると死(地獄)が待っている。
 崖の上に上がると柴(重荷)を背負った貧しい農婦と無垢な幼子(聖母子)が待っている(天国)。
  お前さん、本当に行きたいのはどっちかえ?と言いたくなる。
 だが、彼にはどちらも選べないまま力が尽きそうになる(煉獄にいる状態)。
 フェリーニもドストエフスキーやニーチェのように、上にいるときには下を見て、下にいるときには上を見ることの出来る煉獄人間ということだ。
 「甘い生活」でも同じで、汚濁に満ちたところに主人公はいるのだが、同時に清澄で美しい生き方もあるということを知っている。
 知ってはいるが、今は出来ない。
 堕落というのはアル中や薬物中毒と同じ依存症なのだ。
 わかっちゃいるけどやめられない、と明るく笑っても、その実、うつろなのだ。
 そしてその先は自殺。
 こういう作品ばかり撮っていたら、実際、スランプでうつになるよな。
 それで、「8 1/2」が出来たのかも。
 では。

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