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2015年12月2日 / misotukuri

映画「インターステラー」の愛は人類を救う度

 昨夜、映画「インターステラー」(14年、米、クリストファー・ノーラン監督、マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ジェシカ・チャスティン、マッケンジー・フォイ、マット・デイモン他)を見たところ。
 いやあ、長いけど、いい映画だねえ。
 まさに21世紀版「2001年宇宙の旅」だ。
 ここまで堂々と描かれたら、SFファンとして文句は言えんなあ。
 SFにはお馴染みだが、色々な文明批評的要素が入っている。
 この映画の問題意識は、次の3点に集約される。
 1 人類滅亡のシナリオ・・・人口爆発、食糧危機、生態系の破壊、砂漠化、文明衰退、絶滅
 2 宇宙開発による解決・・・人類の種の存亡をかけた宇宙植民とその技術的困難
 3 ノアの箱船乗船資格・・・エリートだけか、みんなか?
 これらはSFではある意味古典的議論で、アポロ計画が中止になった時に決着がついて、SFファンは大いなる失望とともに、それがトラウマとなって以後は深く屈折したストーリーしか語れなくなっていたものだ。
 この映画でも、学校の授業では、アポロ計画で人間が月に行ったなどというのは、冷戦下にあった敵対国ソ連を軍拡競争で滅ぼすためのフィクションだったという改訂版歴史教科書で教えられている。
 これはレーガン政権下のスターウォーズ計画( Strategic Defense Initiative, SDI:戦略防衛構想)のことと話がすり替えられているのだが、上記3の問題にも関わってくるが、問題はそういう歴史改竄ではなく、その意図が何なのかなのだ。
 万民に等しく幸福追求の権利があるが、幸福は限られた者にしか得られないというのが、この世のならい。
 だが、それは、我々の正義感覚に反するのではないか?
 同じことは、富の偏在についても言えるし、芸術文化の享有もそう。
 だが、まずは順を追って議論しよう。
 この映画の基本設定は、地球上で人口爆発が起き、食糧の過剰な簒奪から生態系が破壊され、植物が死滅する中で砂漠化が進行し、やがて酸素不足になって、人類は徐々に死に絶えるということらしい。
 地球上の人口が200億人くらいまでならなんとか喰わしていけるとかいう試算があるが、その設定の当否はともかく、人口爆発はまもなく起きる。
 そして、人口爆発は今の国境を無意味なものにする。
 まずは、合法移民、そして、不法移民、内戦難民となって、食糧を求め人間は移動していく。
 現在、ヨーロッパに流入したシリア難民が、たかだか50万人くらいでEUは大混乱に陥っているが、食糧難民の場合はそれとは違って静かに進行するだろう。
 そして、やがて移民の人口比が逆転する国家が多くなると、国連は人口密度の低い国に移民の受け入れを要請するようになる。
 たとえば、アメリカ合衆国。
 アメリカは、ヒスパニックの次は中国系国民が大多数を占めるようになる。
 公用語は既に英語からスペイン語と中国語に変わっているだろう。
 そういう時代が来る時、人口比だけで議席の配分をするのが民主主義と言うなら、日本も当然こういった食糧難民を受け入れる必要が出てくる。
 そして、その頃には現在の日本人は、ネイティブ・ジャパニーズと呼ばれているだろう。
 この映画は、そういった人口爆発後の文明が破滅した時代の話だ。
 こうなっては、人類はいよいよ宇宙を目指すしかなくなる。
 経済発展や軍事的優位性のためでなく、他の生存可能な地球型惑星へ移住するためだ。
 そのころには、宇宙開発が経済的にペイしないなどと言ってられない切実な問題となっている。
 その前に、「リングワールド」のような巨大宇宙ステーションでの宇宙コロニーの時代があろう。
 というのも、太陽系内には人類がそのまま生存できる惑星や衛星がない。
 他の太陽系宇宙へ行かなければ地球型惑星は見つけられないのだが、それでも通常の宇宙船では1000年以上もかかるという距離の壁があるからだ。
 冷凍睡眠を使っても、1000年もかかっては、どんな副作用があるやもしれず、難しい。
 それでもそれにチャレンジするのが、いわゆるスターシップ・テーマ。
 最も有名なのは、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の孤児」だが、この手法による人口問題の解決は、無理だ。
 グレッグ・イーガンなどは、人工知能から入って、人間の人格をソフトウェア化し、宇宙探査をするSF(「ディアスポラ」など)を書いている。
 これならコピーし放題、更新し放題、バージョン・アップし放題で、加齢問題も無く、光速度移動も可能なので、時間や距離の問題はほぼ解決するが、欠点は人間の自己同一性の概念が保てなくなることだ。
 拡張された現実にいつまで人類という種を保てるか、それは無理だろう。
 それで、結局、ブラック・ホールやホワイト・ホールを使った「スターゲイト」形式の生身の人間を移動させる方法が考えられる。
 ただし、それでも、相対時間が伸び縮みするウラシマ効果を防ぐことは出来ない。
 なお、余談だが、だから映画「スター・ウォーズ」のような宇宙間戦争は起きえない。
 ジョー・ホールドマンの「終わりなき戦争」のようなことになってしまう。
 異星へ行って一つ数時間の軍事作戦をするだけで、地球では50年も100年も時間が経過しているのでは、異星人と戦争など出来るわけないだろう。
 人生は宇宙で戦争するにはあまりにも短いのだ。
 今年、同じスターシップ・テーマの「寄港地のない船(NONSTOP)」(ブライアン・オールディス)を読んだが、これは「裏切り」というのが隠されたテーマだった。
 それはこの映画にも出てくる。
 プランBだ。
 うまい話には、必ずこういうことがある。
 3のノアの箱船乗船資格のことだ。
 それに乗れるのは、種を代表するエリートだけか、オレもアンタも含めてみんななのか?
 「300:1」(J・T・マッキントッシュ)では、地球破滅を前に300人に1人が火星に移住する話だが、宇宙ロケットの船長にその人選が委ねられることになった。
 そんな無茶なと言うが、中途半端な助け方ではそれしかないかもね。
 とにかく、計画段階で、助かるのはエリートだけだよとバラせば、巨額の税金を使う予算などは絶対取れない。
 だが、みんなだよと言ったって、そんなこと出来るわけがないのは火を見るより明らか。
 じゃあ、どうすればいい?
 アポロ計画なんてなかった、月にも行ってない、映画「カプリコン1」だ。
 ありゃ、ソ連を騙すための大嘘だったと遙か昔に遡って歴史教科書を改訂すればいい。
 それで国民大衆の目を宇宙から背けさせるのだ。
 そして、秘密裏にエリートだけが乗れるノアの箱舟を建造する。
 だが、だが、それだけでもダメなのだ。
 その秘密を知る者は、確かに限られた少数の人間たちだが、それでも彼らみんながノアの箱舟に乗れる訳ではない。
 そのことを納得させる方法が難しい。
 で、結局、嘘をつく。
 これは大衆に対する裏切りと同じだな。
 だが、もちろん、モノには順序というものがあり、まずは惑星探査だ。
 ノアの箱舟を送り出す前に、行き先が人類生存可能な地球型惑星である必要があるからね。
 それを少数のチームで探させるのだ。
 その探検隊は行ったきりで帰ってこられないかも知れない。
 それには、命を落とす未知の危険がある冒険に立ち向かう勇気と使命感の持ち主が要る。
 また、惑星探査の結果を持って無事帰ってこられるとしてもウラシマ効果で地球上では何十年も先になっているかも知れない。
 帰ってきたら浦島太郎のように知っている人はみなとうに死んでいる可能性が高く、プロジェクト自体続いているかどうかもわからない。
 その危険性を考えたら、惑星探査で人類が居住可能な惑星を発見したら第1世代の一粒の麦となって直ちに入植することもあり得る。
 「宇宙播種計画」(ジェイムズ・ブリッシュ)の世界だな。
 ただし、あれは人類の形態を惑星環境に適合するように改造する話だった。
 そういう方法もある。
 いずれにしても、ノアの箱舟に乗れるのは選りすぐられた者たちだろう。
 ある意味、しかたがないことだ。
 この映画でもブラックホール近辺の静かな地球型惑星が出てくるが、この教訓はエリートだけでは変異が起きず進化も起きないということなのだがね。
 ところで、そういう探査船に乗って、絶望的なまでに危険な目に遭って、それでも帰還するのだというモチベーションはどうすれば生まれるのだろうか?
 この映画にも出てくるが、「人は死ぬ前にわが子の顔を思い浮かべるという」、つまり、愛だ。
 そして、この子のために、もっと生きようと思う。
 それが帰還へのモチベーションとなる。
 私の場合、もう年を取り過ぎているので、それはあきらめるとしても、対象は孫かな?
 孫の背後霊になって守ってやりたい、か!
 イヤッ、って言うかな?
 愛情と信頼で結ばれているのに・・・。
 そうか、この映画は、「愛は人類を救う」って話だったのか。
 では。

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