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2015年12月12日 / misotukuri

野坂昭如の「オペレーション・ノア」を再読する

  12月9日、作家 野坂昭如、心不全により死去。享年85歳。合掌。
 このことは旅先で知った。
 帰宅後、「オペレーション・ノア」が急に読みたくなり、本棚の片隅から引っ張り出した。
 本の天(あたま)の埃を払い、改めて表紙を見ると、半透明のビニールカバー越しにまだ若い頃のサングラス姿の野坂昭如の写真があり、その下に「オペレーション・ノア OPERATION NOAH」とある。
 帯封もしっかり残っており、「現代の禁忌に挑む長編力作」「爆発する人口、欠乏する資源、迫り来る危機の時代に日本が生きのこる道はあるか。80年代のある日、恐るべき戦略<オペレーション・ノア>が発進された・・・!著者渾身の近未来小説。野坂昭如が打ち鳴す警鐘に耳を傾けよ。 文藝春秋 定価1400円 」と見て取れる。
 数年前にBOOK-OFFで買った1981年の初版本だが、私がつけている読書手帳によれば1982年に県の図書館で借りて読んでいる。
 当時は今の3倍は小説を読んでいて、その精力ぶりには自分でも驚くが、乱読のせいかストーリーは完全に忘れてしまっていて、ほとんど思い出せない。
 第1章では、家族を事故で一度に失ったエリート商社マンが仕事上の失敗もないのになぜ微妙に出世コースから外されていく姿が描かれている。
 この主人公はいわば野坂昭如のもうひとつのあり得たかも知れない姿で、戦争末期、各地から理系の天才少年を集め、戦後の日本復興の人材としての教育を受けた一人なのだ。
 SF作家の筒井康隆も同じ経験を持つ人間でファンの間ではよく知られた話だ。
 9日夜、ちょうど奇しくもNHKテレビで沖縄の屈強な少年を集めた護郷隊(?)のアニメの話をしていたが、当時、沖縄だけでなく、日本全国で秘密裏に優れた少年を集め、様々な目的で洗脳教育をしていたことがあったようだ。
 彼らは戦後の復興の中で自らは沈黙を守り、また知る人も少なかったことから、次第に忘れられた存在となっていったが、この「オペレーション・ノア」ではないが、いわばスリーパーとなっていつの日か指令のスイッチが入る時がくるのをじっと待っていたのかもしれない。
 この小説を昔読んだ頃は、いわゆる近未来PF(ポリティカル・フィクション)全盛期で、野坂昭如にもこういう小説が書けたことに正直驚く。
 しかも、そのレベルは作者が謙遜して言うほどには低くはない。
 この作品が書かれた時代は、インド洋を目指すソ連がアフガニスタンに侵攻し、米ではレーガン政権が始まった頃で、まもなくソ連が最終戦争に打って出るのでは?という核戦争への危機感が非常に高まった頃だった。
 私など核戦争の恐怖からニュージーランドへの移住を真剣に考えていた。
 それを実行しなかったのは、あるところで知り合った皆さんのおかげかも知れない。
 狂気に転落する歯止めとなったのかも。
 精神病院のナポレオン狂患者のコントを思い出す。
 一人の患者が廊下で出会った患者にこう言った。
 「オレ様は、実はナポレオン・ボナパルトなのじゃ」
 それを聞かされた別の患者、
 「何と、わが輩も、実のところ、ナポレオン・ボナパルトなのだが?」
 すると、先ほどの患者、大きく頷いてこう言った。
 「なるほど、君もそうか。それは心強い。ここにはナポレオンが二人いるのだからな」
 まあ、皆さんが、ナポレオン狂患者だとは言いませんが。
 このコントは有名で、色々なバリエーションがあるが、互いに我こそは本物のナポレオンだと言わないところがミソで、何が風刺の対象か、よく考えてみると面白い。
 それはともかく、当時の世界の様々な問題の中で一番大きな問題は、先進国と発展途上国との間の貧富の格差問題だった。
 俗に言う南北問題かな?
 結局、共産主義をどう総括するかということにもなるのだけど、当時は共産主義に引導を渡したレーガン政権が誕生したばかりで、まだその問題については決着がついていなかった。
 なお、共産主義の敗北、冷戦終結、イデオロギーの終焉、中国の台頭、新帝国主義の到来と経済的側面からのこの問題解決へのアプローチは続くが、もう少し大きい視点から考えると、別の面が見えてくる。
 貧富の格差は、結局のところ、共産主義では解決出来なかった。
 一国内を貧富の格差をなくして社会主義化し、それを国際的に広めて、社会主義国を増やし、やがては、すべてが社会主義国化すれば、国境も必要なくなり、共産主義社会が実現するというのは、貧困の大衆化を招いただけだった。
  共産主義もまた産業革命が生んだ平等幻想にすぎなかったのだ。
 では、新帝国主義なら出来るのか?
  そんなもの、高邁な理念のない金儲け主義に出来るわけない。
 ところで、そもそも貧富の格差は、それで何が問題なのか?
  有史以来続いてきたことではないのか?
 この問いに、即答できない人間に、みんなで社会を良くしようなんて言えたものではない。
 それは、金持ちが貧乏人を肉体的にも精神的にも支配し続けるからなのだ。
 人間をそのように支配できるのは、神以外にない。
 と、ここに宗教への回帰心が目覚める。
 今、イスラム・テロが起きていることは、ある意味、そういうことだ。
 だが、80年代当時、もう一つの解決法が提示されていた。
 貧困問題、資源枯渇と争奪戦争、人口増加、公害等による環境悪化、等々あるなかで、一つの解決方法が他の問題の解決にもなるというのがあった。
 それは、地球人口抑制策だ。
 たいていの問題は人口を半分にすれば、それだけで一人あたりの資産は分配は2倍になるし、使う資源もはき出すCO2も半減させられる。
 だが、どうやって、人口を半減させられるか?それが問題だ。
 この小説にも出てくるが、1980年当時の世界人口が約40億人、これが、2015年には80億人に達するだろうという国連予測がされていて、その2/3が発展途上国の人口で占められるようになるだろうと言われていた。
 そこで中国は、1979年から今年の10月まで一人っ子政策を採った。
 その後、東西冷戦の終結、ソ連邦、東欧諸国の崩壊と内戦、そしてアフリカでの内戦の激化、中東での戦争と内戦などで、世界の人口は2015年現在約73億人弱だ。
 これは予測よりやや下回るが、それでも2050年には多分100億人を超えるだろう。
 人口半減どころか、抑制にもなっていない。
 人口抑制策は失敗した。
  産児制限も戦争も医療の意図的遅延も環境汚染も何もかもが失敗した。
 そして、その目的である貧富の格差解決にも失敗した。
 中国が何故一人っ子政策をやめたか、それは日本の少子高齢化社会の惨状を教訓にしたからだとも言われている。
 日本の少子高齢化社会の惨状は大げさに伝えられていると思うが、単純な話、人口が半減するまで、結婚できない、結婚しても子を持てない、孫を持てないという選択を余儀なくさせられる人々が多くなればなるほど、社会は劣化していく。
 まだ氏族社会が残っている彼らにはそれは耐えられそうもない。
 また、人口100億人時代に世界で覇権を唱えるためには現在くらいのパーセンテージは欲しい。
 となると、現在14億人のところ、20億人くらいは欲しいと考えているのだ。
 だが、そういう2050年頃の時代を考えて、日本はどういう選択を取るべきか、「オペレーション・ノア」ではないが、よく考えてみるべきだ。
 この本を再読し始めたが、考え込むことが多すぎて、なかなか先に進まない。
 それも、大きな問題だ。
 では。

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