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2015年12月30日 / misotukuri

映画「プリデスティネーション」の雄鳥度

 今年見た映画179本目は「プリデスティネーション」(マイケル・スピエリッグ&ピーター・スピエリッグ監督、イーサン・ホーク、サラ・スヌーク他)。
 原作は、ロバート・A・ハインラインの「輪廻の蛇」。
 まあ、SFファンなら知らない人はいない作品のほぼ完全映画化。
 もちろん、私も読んでいる、・・・のだが、お、覚えていない。
 もう一度、蔵書インデックスと位置が崩れて収拾がつかなくなった本棚をひっくり返すか、古本を買うかだが、今年は映画で我慢しておこう。
 この作品のセリフの一つ一つが伏線になっているので、初見の時点でハハーンと全体像がつかめてしまう。
 ネタバレを言っても、このブログの数少ない読者さんには殺されたりしないだろうが、一応、安全のためヒントだけにしておくと、これは親殺しのタイム・パラドクスの変形だが、卵が先かニワトリが先か?と言っても、分流が発生するきっかけとなる雄鳥がいたはずなのだ。
 そして解決すべき問題は、この雄鳥の意図はそもそも何だったのか、だ。
  何故そんなことをしたのか?
 それは、最後にわかる。
 だから、この主人公は、何回目とは言えないまでも、少なくとも、2回目以降の自分だな。
 映画「タイムチェイサー」でも思ったことだが、過去を改変すると現在も変わるが、改変される前から現在までの歴史は消え去るのだろうか?という疑問への回答を考えると解決不能のパラドクスに陥る。
 例えば、タイムマシンで過去に遡り、ヒトラーを第一次世界大戦で戦闘に紛れて殺してしまい、のちのユダヤ人大虐殺は防ぐと言う計画。
 それがうまく行ったら、現在知っている歴史はなくなる。
 めでたしめでたしか?
 じゃあ、無名時代のヒトラーを暗殺した人間はどうなる?
 少なくとも出発した世界には帰れないよな。
 もうないんだもの。
 その人は、本来そこに存在しない人間となっている。
 だが、それで、どうしたというのか?構わないじゃないかという考え方もある。
 それがこの映画の考え方だ。
 多元宇宙なら無数に分岐が起きるたび宇宙が分裂していくが、これなら分裂しない。
 大きな川の底に切れたドーナツ型のパイプ落ちていて、上流に向いている入り口から入った水はぐるっと下流に回ってさらに上流に遡り、入り口より上流にあって下流に向いている出口から出てくるとする。
 その水の粒子のうちいくつかはそのまま下流に流れていかずに、再び入り口に吸い込まれ、ぐるぐる回りを繰り返しているのがあるとする。
 これが輪廻の環だとしたら、多元宇宙はない。
 最初にパイプに入った水の粒子は本当の歴史を知らなかっただけで、何かの拍子にパイプのぐるぐる回りから抜け出て、本当の歴史を辿ることになる。
 タイムマシンとは時間の流れを任意に逆流させるパイプを作り出す装置のことで、それには自ずとそのパイプで運び得る質量に限度があるのではないか?
 とまあ、このように考えると、個人的な歴史の改変で新たに宇宙が分裂したりヴァージョン違いの宇宙が生まれたりするなんてことはない。
 たとえ、タイムマシンで第一次世界大戦時に戻って、アドルフ・ヒトラー伍長を戦闘に紛れて暗殺したとしても、歴史が大きく変わるとは限らない。
 ヒトラーの代わりにゲッペルスが「わが闘争」を書いていたかも知れない。
 しかし、少なくとも、エヴァ・ブラウンはヒトラーの愛人として死ぬことはなかった。
 タイム・パトロールなどの時間局という設立理念は、時間の大きな流れを維持する事であって、分流発生を防ぐことにあるのだろう。
 大虐殺があったとかなかったとか歴史改変でも多分些細なことだ。
 だって、人間はいつかは死ぬものだし、生体反応がいつ消えようと大した差はない。
 もっとも、それだけでは説明しきれないものもあるのはわかっている。
 その答えはこれから考えたい。
 ところで、ロバートソンというのは、ロバート・A・ハインラインのことかな?
 では。

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