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2016年1月19日 / misotukuri

映画「ブルー・リベンジ」の対テロ戦争度

 今日は、今年見た映画、と言っても、まだ1月も終わってないのだが、今のところ最高傑作と言える映画を見た。
 「ブルー・リベンジ」(13年、米・仏、ジェレミー・ソルニエ監督、メイコン・ブレア、デヴィン・ラトレイ他)がそれ。
 WOWOWで昨夜していた録画だが、2月6日深夜に再放送するので、視聴環境が良ければぜひどうぞ。
 ストーリーは、一応、WOWOWのコピペだが、以下のとおり。
<ある日、ホームレスのドワイトは、顔見知りの警官から、彼の両親を殺して服役していた殺人犯が、司法取引によって刑務所から近日中に釈放されるという意外な話を聞かされる。
 復讐心に燃えるドワイトは、釈放当日、憎い男の後をつけ、相手の男の隙をついてナイフで刺殺するが、今度は男の兄弟たちから自分の命を付け狙われるはめになる・・・> 
 憎悪に基づく報復が更なる報復を生み、その報復から身を守るためまたしても報復するという憎悪の連鎖を描いたもの。
 これが9.11同時多発テロ以降の対テロ戦争の泥沼のアナロジーであるのは明らかなのだが、いったん報復合戦になってしまうと、それを終わらせるのはいかにも難しい。
 9.11のテロは、対テロ戦争のきっかけと言われているが、テロをした方に言わせれば、憎悪に燃えた報復なのであり、原因をどこまで遡るかはともかく、結果としてアフガニスタン戦争、イラク戦争から続いてISの勃興やシリア内乱の現在に至るまで報復合戦が続いている。
 9.11のテロの動機は、アメリカに象徴される欧米資本主義が神聖な中東を蹂躙しているという被害感からくる怨念で、それは歴史的事実でもあるから、その怨念自体はいかにももっともではある。
 だが、そういうことは、あくまで中東の諸国と欧米が政治的に解決すべき問題で、非国家組織の宗教的武装集団がテロという軍事攻撃によって解決出来るような問題ではない。
 相互に報復を重ねる内に、戦いの当事者には直近のことへの報復しか念頭になくなり、友人や仲間を巻き込んで最初は公的な戦いだったものが次第に私的なものに変容して行く。
 この映画も、主人公の両親が殺されたのは、ようするに主人公にとっては、9.11同時多発テロで、実は両親に殺される理由があったわけだが、それは途中で明らかになること。
 主人公が犯人を報復殺人したのは、9.11同時多発テロの報復としてのアフガニスタン攻撃のことで、この時点では、主人公にはまだなぜ両親が殺されたのかわかっていない。
 殺された犯人の兄弟たちが主人公に復讐しようと主人公の姉の家に押しかけてくるのは、今の欧州でのイスラム・テロと同じ。
 それに対抗しようとして主人公が昔の高校時代の友人に助けを求めるが、友人は法の許す範囲で出来るだけのことをしてくれるのも、対テロ戦争を戦うアメリカの友好国のスタンスと同じ。
 このようにして、混乱はどんどん拡大し、事態はもはや報復合戦のきっかけがどうだったか、どうでも良くなっている。
 現在の対テロ戦争の段階がどこらにあるのかよくわからないが、この映画同様に、当事者は、当初のそれぞれの報復の頃の憎悪の源泉に立ち返り、そして現実を受容し、武器を置く必要があろう。
 現実を受容するとは、この映画のように犯人の家族らと主人公らとは価値観も住む世界も違うということをしっかり受け止めるということだ。
 武器を置く必要があるとは、どちらのルールで戦っても、徹底的にやれば、欧米、この映画で言うなら、主人公らの側が勝つのだが、どちらにも少なからぬ被害が出るので、もうやめようということだ。
 店じまいの戦略を互いに持ちつつ、その上で、互いに得心がいくまで戦うしかない。
 この映画は、現実の対テロ戦争の最終的決着についての一つの示唆を与えてくれる極めて政治的な寓話だ。
 この映画のラストで犯人側の少年が銃を捨てるのは、その意味で象徴的だ。
 映画は、一応の復讐を果たした少年が、あえてそれ以上の報復にまで進もうとしないことで、憎悪の連鎖は絶たれるのではないかという希望を持たせてくれる。
 現実は、映画と違い、規模が大きすぎて、なかなかそこまで行かないのだが。
 エンディングの最初の歌がイケてるのでYoutubeを貼り付けておこう。
 https://www.youtube.com/watch?v=1k3kBn0u5DE
 では。

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