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2016年2月3日 / misotukuri

映画「ファイナル・アワーズ」の自己納得度

 昨夜見た映画は、「ファイナル・アワーズ」(13年、オーストラリア、ザック・ヒルディッチ監督、ネイサン・フィリップス、アンゴーリー・ライス他)。
 これもまた最近よくある「地球最後の日にあなたは何をするか?」というお話。
 「巨大隕石が北大西洋に落下して、北米大陸、中南米、西アフリカが消滅し、主人公が住む西オーストラリアが消滅するのもあと約12時間後に迫っている。
 そうした中、主人公は彼に妊娠を告げた恋人と別れ、遊び友達の乱交パーティに出かけて行ったのだが、途中で二人の男が暴れる女の子を拉致して家に連れ込んだのを見かける。
 残された時間を自分のためだけに使おうと思っていた主人公だったが、・・・。」
 地球に大隕石が衝突するとどういうことになるか、ナショジオ・チャンネルで見たことがあるが、あれによると地球上にいる限り、どこにいようと普通の人が生き残れる確率はほぼ0だね。
 それが人類だけでなく、微生物から巨大な生物まで、あらゆる生物すべてだからね。
 これを大絶滅と言う。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8F%E7%B5%B6%E6%BB%85
 それはともかく、地球最後の日、あなたなら残されたわずかな時間をどう使う?
 さっさと自殺する人、発狂する人、酒やドラッグで我を忘れる人、セックスをしまくる人、一度やってみたかったと殺人をする人、死ぬまでにやりたいリストを手に持ってうろうろする人・・・・
 いろいろいらっしゃるだろう。
 だが、何をしても、数時間後には世界中の全ての生物種がほぼ死に絶えているのは確かなのだ。
 こういう極限状況に直面して、自分のためでなく、人のために貴重な最後の時間を使うというのも、すごく気高くて、大いに自己満足の極みかも知れない。
 この人生、思ってたより少々短かったが、何にせよ死ぬことには致し方なく思う。
 その一方、本質的には自分は良い人間であったと解り、ついでに世界の一大イベントに立ち会うことができたことに、十分な納得感を得られるのではないだろうか。
 ところで、生と死は同時に存在できない。
 生きている時には死はなく、また、死んでいるときにはもはや生はない。
 だから、現に生きている者が死を恐れることはないというのは、宗教や哲学の話。
 恐れても恐れなくても、死は必ず訪れる。
 死にたくなくても死にたくても同様だ。
 ヴァン・ヴォークトの短編「モンスター」だったか、太陽フレアの直撃で生物が完全に死滅したある惑星のとある建物の階段で死んでいた知的生命体を蘇生させたところ、生き返った途端、ここはどこ?私は誰?などと戸惑ったりせず、いきなり逃げて姿を隠してしまうのに驚くシーンがあった。
 その知的生命体は、後で「こういうこと(異星人によって蘇生させられること)もあろうかと思っていたのでね」などと告白する。
 私もこういう小説を読んでいるので、たとえ死んでも、そういうこともあるかもという心構えだけはしておきたい。
 目覚めたら、しかし、目の前に閻魔大王がいるかもしれないので、できるだけこの世で善行を積むよう努力したい。(もう遅いか!)
 この映画、B級低額予算映画なのに、こんなことを考えさせるとは、なかなかよく出来ているんじゃないか?
 ラストの映像も、いいね。
 では。

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