Skip to content
2016年2月10日 / misotukuri

映画「シャドー」のマカロニ度

 2時間超える映画を見る気になれなくて、1時間45分の映画「シャドー」(82年、伊、ダリオ・アルジェント監督、アンソニー・フランシオサ、ジュリアノ・ジェンマ、ダリア・ニコロディ他)を見た。
 ところで今気がついたのだが、ダリオはダリアの男性形なんだね。
 母音のOが付くとたいてい男性形、Aが付くと女性形とは知っていたが、そういやそうだな。
 ま、それはいい。この映画「シャドー」だ。
 何と言うか、いかにも、マカロニ・ミステリだね。
 マカロニ・ウエスタンのジュリアノ・ジェンマが刑事役で出ているからじゃない。
 いや、そうかも。
 粘っこい変質性が見て取れる。
 ストーリーは、「ニューヨークからやって来たベストセラー「暗闇」の作家のローマ到着と相前後して起きる連続殺人事件。
 担当刑事はこのミステリ作家のファンでもあったことから、作家と何らかの関係があるとにらみ、事情聴取がてら作家に冗談で捜査の協力を頼む。
 ところが、殺害は次第に作家の身近にいた人間に及ぶようになり、最終的な目的は作家の殺害だという脅迫がなされる。
 作家は脅迫文の中にラテン語の文章が使われていることにこの連続殺人犯のヒントを得る。
 そして、出版エージェント見習いの少年と共に素人探偵よろしく犯人と覚しき人物の屋敷に忍び込んだのだったが・・・」
 とまあ、こういう風にまとめていくと、ストーリーが何かリニアに流れていく感じなのだが、映画はエキセントリックにつまづきながら進んでいく。
 (「つまづく」は、現在では「つまずく」が正規表現らしいが、意味からも発音からもおかしいと思うので、このまま使うことにした。)
 この映画みたいな変質者めいた表現は、生理的に受け付けない人も多いだろうな、オレも嫌いだと思いながら見ていたら、何とこの映画、ホラー・サスペンスじゃなくて、ミステリだったんだね。
 途中でそのことに気づいて、あわててフーダニットを考え始めた。
 しかし、終わった後から思い出してみると、全ての殺人について説明がつくとは思えないのだが、ミステリとしては割りとフェアプレイだね。
 例えば、犯人は最初から姿を見せている。
 だが、よほど注意深く見ていないと観客はそのことに気づかないだろう。
 実は、私も変なシーンだなと一瞬思ったが、西洋人の顔の判別は苦手でね。
 イタリア人なら、俳優の顔を見て、ああこいつが犯人だろうと直ぐに気がついたかもしれない。
 犯罪には、犯人側に犯行の動機というのがあるが、被害者側にも被害者になる理由というのがある。
 殺人事件で言えば、殺される理由だ。
 無差別テロのような殺人は、被害者に一見何の理由もないように見えるから恐い。
 こういう場合、被害者は人間としてでなく記号(サイン)とか象徴(シンボル)として殺される。
 そして、多くの場合、殺人者にはそれが殺人の免罪的釈明(言い訳)になる。
 犯罪者でない第三者のあなたは、あくまで許してはならないことだと思うか、自分も同じ立場なら無理もないことだと許してしまうかのどちらかと思うが、いずれにしても、犯罪者は決してあなたのようには思わないだろう。
 あなたの人間理解は甘いのだ。
 では。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。