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2016年4月14日 / misotukuri

映画「スロウ・ウェスト」のイノセント度

 先日来、私のノートPCのWindows Defenderが「マルウェアを検知しました」というメッセージを繰り返し出してくるので、フルスキャン+問題ファイル削除を3回ほど繰り返したが、やっぱりゾンビみたいに復活してくる。
 どうやったら駆除出来るかいろいろ試したが、コントロール・パネルからプログラムのアンインストールをやった上に、問題ファイルが入っているフォルダごと削除したら、Windows Defenderの警告は出なくなった。
 マルウェアはどうやら駆除出来たみたいだ。
 「トロイの木馬ウィルス」みたいだが、木馬の削除は出来なかったが、木馬からウィルスが出てくる前にトロイごと削除したのが良かったのかな?
 しかし、どこに残党が潜んでいるかも知れないので、まだまだ油断出来ない。
 かみさんにそれを言うと、「トロイア戦争」の話からしなければならなくなって、うんざり。
 ところで、先ほど、評判の映画「スロウ・ウェスト」(15年、英・ニュージーランド、ジョン・マクリーン監督、マイケル・ファスベンダー、コディ・スミット=マクフィー、カレン・ビストリアス他)を見た。
 最近の映画にしては84分と短く、少し物足りないが、描くべきところは描いているので、どう文句をつけたらいいのか悩むが、まあ、傑作と言っていい出来映えじゃないかと思う。
 <愛するローズを追ってはるばるまだ未開のアメリカ西部へやって来たスコットランド貴族の息子ジェイは旅の途中で賞金稼ぎの用心棒サイラスを雇うが、ローズの首には2000ドルの賞金が懸かっていた・・・>
 ローズと彼女の父に誰が何のために生死を問わず2000ドルもの大金(当時としては)を賞金として出したのか?
 多分、ジェイの親が出したのではないかと思うが、その現実性はともかく、賞金首の貼り紙には信頼性という点では大した意味はないということが、賞金稼ぎ一味の談話でわかってくる。
 風俗に関心のある向きにはご存知と思う事だが、18~19世紀頃の英国貴族の息子と小作人の娘との身分違いの恋愛がどのような目で見られるかは、ジェーン・オースチンやトマス・ハーディのロマンス小説よりも、むしろ発禁ポルノ小説の方がもっと下世話で露骨であるだけによく理解できると思う。
 まあ、今から考えると、とんでもなく危険な世界で時代の話なのだ。
 このジェイという青年はオーパーツ的青年で、ようするに、まだ子供なんだな。
 純真無垢。
 「ボクのことどう思う?」と聞いたら、「弟みたい」と言われた16歳の女の子を追いかけて、男の子が一人で、スコットランドから、まだインディアン狩りをしている未開のアメリカ西部にやって来るんだからね。
 確かに貴族の息子でもなければ、ここまで純真無垢にはなれない。
 ドストエフスキーの「白痴」のムイシュキン公爵を連想した。
 地獄から来たサイラスと天国から来たジェイが暗くて深い森の中で出会って、人の死に行く道をひたすら終わりに向かって進んでいく。
 何か、ダンテの「神曲」地獄篇を思わせるところもあり、面白い。
 回想は基本的にその話し手でコロコロ変わるが、これも視点が神的視座と解せば納得出来る。
 あえて視点の変化に拘らないのが新しい手法なのかも。
 では。

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