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2016年5月14日 / misotukuri

映画「愛すれど心さびしく」の天使って孤独だ度

 映画「愛すれど心さびしく」(68年、米、ロバート・エリス・ミラー監督、アラン・アーキン、ソンドラ・ロック他)を見た。
 何かボクらがとうの昔になくして忘れてしまったものを思いがけないところで見つけたような感じの映画だ。
 いわば、原点だな。
 世の中の理不尽をしっかりと見据えながら、自分に出来ることを精一杯して行こうという・・・
 そういうときもあったんだと思い出す。
 原作は、「心は孤独な狩人(The Heart is a Lonely Hunter)」(カーソン・マッカラーズ)。
 聾唖者の二人の青年シンガーとアントナパウロスは、ひっそりと寄り添うように社会の片隅で生きていた。
 これは、今で言う、ホモの関係だろうな。
 アントナパウロスは知恵遅れで、問題を起こすので、唯一の近親者の従兄が彼を精神病院に入れてしまう。
 残されたシンガーは彼の後を追ってその病院のある街に引っ越したが、シンガーが下宿したケリー家では深刻な家庭の不幸が起きていた・・・
 このシンガーという青年が、誰にも優しくホントに天使のように心のきれいな人間なので、ちょっと現実味がないのだが、まあ、これがラストにつながっていくのだな。
 そうか、天使って、そんなに孤独だったんだね。
 この原作、アメリカ文学の傑作と言われているのに、差別用語満載で絶版になっているとか。
 そもそも時代が違うのにね。
 人種差別表現についても、例えば公民権運動のキング師が暗殺されたのが1968年4月4日。
 この映画はまだ公開(1968年7月31日)されていない。
 差別用語禁止の歴史も調べてみたが、マスコミで「言い換え集」が作成され本格的に言葉狩りが始まったのは、日本では1973年の玉置宏(故人)の「芸能界は特殊部落」発言以来。
 カーソン・マッカラーズの一生を調べたらわかると思うが、彼女も人生を痛々しく生きた人。
 現にあるものを言葉だけ言い換えても意味がないのはわかっているが、そういう威圧をすることで人々を従わせたい輩がいるのだ。
 問題は、それに従う側の弱さにあるのだが、弱い人にお前の弱さが悪いんだと責め立ててもこれまた無意味。
 シンガーが下宿したケリー家は、一家の大黒柱の主人が腰の骨を折って、失業し、あっという間に中流家庭から貧困家庭へと転落してしまうのだが、そこで母親が娘に話すみじめな人生訓も貧しさを経験したことのある人間には当然のこと。
 差別する側も差別される側と大して変わりなく、矛先がより下層、より弱い者へと向いているだけ。
 世の中には理不尽なことがいっぱいある。
 決してそれをしかたがないと受け入れるわけではないのだが・・・・
 

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