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2016年6月5日 / misotukuri

「宇宙の孤児」は「洞窟の比喩」なのか?

 昨日から「<宗教化>する現代思想」(仲正昌樹著)を読んでいる。
 その第二章「比喩」と形而上学 の中に、「洞窟の比喩」の罠 というのがあり、プラトンの「洞窟の比喩」の解釈が述べられている。
 それを読みながら、これって、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の孤児」も同じ構造をしている!と思った。
 そうか、巨大恒星間宇宙船(スターシップ)は洞窟なのか!
 主人公はソクラテスで、自分たちの世界の実相(真理)を仲間(洞窟の囚人)たちに告げようとするが、それは宇宙船の世界(洞窟)に深く適応した者には直視出来ないことであり、逆に反逆罪に問われ打ち殺されそうになる。
 そして、「<宗教化>する現代思想」の話は、新約聖書の中のキリストがまさにプラトンによって描かれたソクラテスと同じ構造をしていると続いていくのだが、それはまたいつか議論したい。
 SFファンとしては、ハインラインがそれを念頭に置いて書いたのか、それとも思考の必然として生まれてきたのかということが気になる。
 「宇宙の孤児」は、スターシップ・テーマの古典であり、私も短編長編いくつか読んできたが、これ以上の作品にはまだお目にかかれていない。
 それは、単にSFとしての設定が完璧だからではなく、ストーリーの構造自体に深いメッセージ性のある比喩が込められているからなのだ。
 真理に覚醒した主人公が無知蒙昧の世を正そうとして逆に民衆の怒りを買うという話(それを誰が語るのか?という問題もある)を通じて、主人公がカルトの教主様化していくという現象は、あらゆる所で大なり小なり見られることだ。
 これは世の中を良くしたい病とかお節介病の原因でもある。
 ただ、人間は結局のところ、「信じる」ことと「疑う」ことの繰り返しで生きていくしかないわけで、信じている時でも疑う心を忘れてはならないし、疑っている時でも信じる心を忘れてはいけないと思うのだ。
 では。

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