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2016年6月9日 / misotukuri

政治の季節風に逆らって考えよう

 今年はアメリカの大統領選挙がある年で、日本でも参議院選挙があり、またぞろ政治の季節がやって来たようだ。
 特にアメリカでのトランプ旋風、サンダース現象について巷間言われているエスタブリッシュメントへの非エスタブリッシュメントの反逆という二項対立図式は、大衆受けしやすく、いかにも政治的だ。
 民主党の大統領候補は、ヒラリー・クリントンでほぼ決まり、共和党の大統領候補はドナルド・トランプで事実上決まり、次はどちらも副大統領を誰にするかということが大統領選の行方を左右しそうだ。
 ヒラリーは、票の心配でサンダース支持の非エスタブリッシュメント層を取り込もうとするし、トランプは金の心配でエスタブリッシュメント層に歩み寄ろうとする。
 これは二項対立図式をあいまいにするので、もしこうなればトランプに不利に働き、何のかんの言われながらも、ヒラリー・クリントンが勝つだろう。
 逆に、100億ドル資産があると言われるトランプにとって、金の心配は全くなければ、あくまで二項対立図式を続け、選挙戦本戦を有利に戦うだろう。
 ところで、トランプは非エスタブリッシュメントの支持を集めているようだが、彼自身は大金持ちなのに非エスタブリッシュメントなのか?
 エスタブリッシュメントであるかないかは金の問題ではないとしたら、じゃあ、サンダースは非エスタブリッシュメントなのか?
 どうもエスタブリッシュメントの定義の問題がありそうだ。
 そもそも、こういう二項対立図式で物事を考えること自体、ブッシュ・ジュニアの時に善悪二元論とインテリが散々批判してきたことではないのか?
 私は当時、むしろ二項対立でどこが悪い、問題を明確にしていいではないか、コンピューターだって、二進法だろう?そういう頭の整理ができないのが日本人の悪い癖だと二項対立を擁護したが、それは思考技術としての二項対立。
 今回、エスタブリッシュメントVS非エスタブリッシュメントという二項対立レッテル自体は否定はしないが、我々がそういう思考をしてしまいやすい傾向に、政治が大衆化した現代の問題を見てしまうのだ。
 大衆というのは、いくら教育水準が高くなっても馬鹿に変わりはないから、という身も蓋もない議論もあるだろうが、インテリでもそれを疑問に思わないで、エスタブリッシュメントVS非エスタブリッシュメントという構図を見つけたことで、満足してしまいがちだ。
 しかし、先ほどのエスタブリッシュメントとは何かという定義の問題もあるし、非エスタブリッシュメントの代表と目される人物が大統領になったとしても非エスタブリッシュメントの望む政策を実行するか、また、できるかどうかも疑問がある。
 百歩譲って、こういう二項対立のレッテル貼りが正しいとしても、どうしてこうも毎度毎度同じように二項対立で物事を考えてしまうのだろう?
 これは、要するに、大衆消費社会での商業主義の売り文句(キャッチコピー)じゃないのか?
 実態はそんな大げさなものではないが、そう言った方が、盛り上がるじゃないか、ペイパービューの売り上げも伸びるじゃないか!というものではないのか?
 もしそうなら、そういう大衆の二項対立への異常な嗜好って、何だろう?と考えてしまう。
 
 

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