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2016年6月16日 / misotukuri

映画「クロッシング」の現場警官への挽歌度

 今日は、映画「クロッシング」(09年、米、アントワ-ン・フークア監督、リチャード・ギア、イーサン・ホーク、ドン・チードル、ウェズリー・スナイプス他)を見た。
 「トレーニング・デイ」のアントワーン・フークア監督の警官もの作品ということで、期待してみたが、やっぱりスゴイね。
 「トレーニング・デイ」の新米刑事役のイーサン・ホークが、その後のなれの果てみたいな感じの警官サル役で出ているのも興味深かった。
 彼は、生活苦から次第に悪徳汚職警官に成り下がってしまうのだが、とにかく、どうしても金がいるんだという焦りが彼を犯罪へと突き動かして行く様は同情出来なくもない。
 エディ(リチャード・ギア)は、退職を7日後に控えたある日、「君も一度くらい役に立ちたいだろ?」と副署長から新人の教育係を命じられた無能な警官。
 仕事では事なかれ主義で、犯罪を目撃しても管轄外なら見て見ぬフリをし、正義感から血気にはやる新人に臆病者と軽蔑される彼は、勤務が開けるとチャイナタウンの娼館へ馴染みの黒人娼婦のところへ足繁く通っている。
 そんな彼が初めて命懸けで正義を行おうとしたのは、バッジを置いてからだった。
 タンゴ(ドン・チードル)は、ある黒人ギャング団に潜入している警官だが、長い潜入に疲れて、本当の自分の人生を取り戻したく思っている。
 ある日、昇進と引き替えにボスのキャズ(ウェズリー・スナイプス)を罠に掛ける作戦を命じられるが、既にキャズと仲良くなりすぎているタンゴは彼を心情的に裏切れない。
 別々の底辺の現場であえいでいた三人が最後に交差する幕切れは劇的だ。
 このドラマの重量感は「トレーニング・デイ」を遙かに上回る。
 これは、現場に生きる男への挽歌だな。
 彼らがぼやくシーンは、何か、今日のエスタブリッシュメントVS非エスタブリッシュメントを予見したようなドラマと見えたのはうがち過ぎか?
 「安月給の俺たちが命懸けで犯罪者から押収してきた金をデスクに座った奴らが自分らを肥え太らせるために使っている」
 彼らは、サンダースやトランプ支持かも知れんな。
 クリントン支持ということはないだろう。
 彼らとはまた別の現場だが、上級管理職に「あんたの出世のために何で俺たちがやらなきゃならないんだ」と食ってかかった男がいた。
 上級管理職が「それが君らの仕事だろう」と言うと、その男は「この給料じゃあ、命は張れないよ」と言った。
 社会の底辺の犯罪者達は同じく底辺の弱い人間を食い物にしているが、そういう犯罪者を狩る警官達もまた底辺に生きる同類なのだ。
 これは文学的な比喩ではなく、大きな声では言えないが、現実にそうなのだ。
 同じ村で育った親友同士が一方は犯罪者になり、もう一方は警官になるなんて話は、映画の中だけではなく、普通にあること。
 それに気がつく時、どうやってそんな警官にモチベーションを保たせるか、そういう思いやりがなければ、警察という組織は堕落する。
 ま、きれいごとでは、うまくいかないってことよ。
 では。

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