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2016年6月20日 / misotukuri

「毒草を食べてみた」で永遠の命の薬草を探せ!

 「毒草を食べてみた」(植松黎著)を読んでいる。
 本屋で立ち読みし、衝動買いした本だが、毒草には色々な意味で興味があった。
 その一つは、昔、ニラと間違えてスイセンを食べて、エライ目に遭ったことがあるからだ。
 「それスイセンでないの?」と疑問を口にした私に、かみさんが「私も農家の娘、ニラとスイセンの違いくらいわかってます」と大見得を切って1時間後、夫婦で競って何度もトイレに駆け込む羽目になったのはもう10年以上前のことだ。
 若いスイセンとニラとでは本当に区別がつかない。
 この中毒を防ぐには、完全に離して植えるしかない。
 ただ、スイセンを誤って食べても、30分以内に激しく嘔吐する程度で、死ぬようなことはないので、毒殺を考えているなら無駄なので別のにされたい。
 フサザキスイセンでアレルギー性湿疹を起こすのはこの本で知ったが、もしや・・・かも。
 この本を読むメリットは、我々が無意識に陥っている「緑信仰」の愚を警告してくれることにある。
 少し長いが引用すると、
 <生きるために、野生植物に依存する必要のない文明社会では、私たちは恐ろしいほど無邪気に「植物」を信じてしまう。
 相手が人間ならそれなりの用心をするのに、植物となるや、緑イコール「善」、あるいは「自然」という耳に快い代名詞でくくってしまう。
 植物があたかも人間のために存在し、食べられるのを待っている、と思うらしい。・・・>
 ということだ。
 なお、ここで使っている「代名詞」に違和感を覚えた方もいるかも知れないが、これは文法用語の代名詞ではなく、「代名詞」という名詞だ。
 それはともかく、この本を読めば、山菜など採って食べようかという気は起きなくなること間違いなしだ。
 また、野山で山菜採りなど見かけると、毒草を何かの目的のために採りに行っているとしか思えなくなるだろう。
 昔の戦争では、矢尻や刀の刃に毒を塗ったりしていたというが、半神半人のアキレウスがかかとの腱に矢を射かけられ死亡したというのもなるほどと合点がいく。
 なお、古代では、神と人間が交合してハイブリッドが生まれて英雄になる話が多々あるが、その最古の例は、ギルガメシュで、彼は親友のエンキ=ドゥが死んだことにショックを受け、永遠の命を求める旅に出る。
 それは地下の泉のほとりに生えている草で神々から永遠の命を貰ったウトナピシュテム(ノアのなれの果て)が守っている。
 それがどんな草だったのかよくわからないが、ギルガメシュが持ち帰ろうとして、強烈な睡魔に襲われることから、催眠性の揮発成分があったと思われる。
 彼が眠り込んだ隙に一匹の蛇がその草を食べてしまい、人類は永遠の命を手に入れることは出来ず、代わりに蛇が永遠の命(脱皮して生まれ変わる)を得ることになった。
 なお、この蛇は、エデンの園でアダムとイヴに知恵の実を与えた蛇だろう。
 それはまた、ノアに大洪水が来るのを最高神エンリル(ヤーヴェ)に逆らって密かに教えた神(エンキ)の象徴でもある。
 この創世神話から洪水伝説に至る話には、大きな謎が隠されている。
 薬草(毒草)探しに夢中になる人には、そういう人類古来からの夢があるのかも知れない。
 まあ、永遠の命を与えてくれる薬草候補リストからこの本にある毒草は除けても差し支えないだろう。
 では。

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