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2016年6月27日 / misotukuri

現実を認めようとしない人々

 最近、この人たちは現実を受け入れられないんだなと思うようなことがしばしで、高じると少々醜い。
 他所のことなんだが、たとえば英国のEU離脱の国民投票をやり直せとかいう現象がそれ。
 離脱が決まってからEUって何というネット検索が増えて、お前らEUが何かも知らずに国民投票したのか?という揶揄というか、あきれた、だから、もう一度国民投票をやり直せとか、スコットランドと北アイルランドは分離独立したいとか、ロンドン市はEUに残りたいとか。
 国論を二分し、ボクシングの判定方法を準用すれば、見た目よりも大差がついた投票に、まあ、納得できないんだろうな。
 もう一度、国民投票をするとして、じゃあ、いつやるのか、また、もう一度同じ結果になったらどうするのか、さらにもし残留が勝って、離脱派がもう一度国民投票をやり直せと言いだしたらどうするのか?
 結局、国民投票という究極の民主主義を自ら無価値化することになる。
 それも民主主義だというのは、何だろう、強弁に過ぎない。
 アメリカ大統領予備選挙で敗北を事実上認めたサンダースが選挙活動では党大会まで降りないというのも、似たようなもの。
 さらにちょっと昔だが、ブッシュJrとアル・ゴアが大接戦を繰り広げたときのゴアの往生際の悪さ。
 最後には投票集計器の陰謀まで持ち出したが、それは民主党系のメーカー製だったとかで、それがわかると、こんどは選挙人登録の不正を言い立てた。
 しかし、それを言うなら、今回の大統領選ではそれまで選挙人登録なんてしなかった連中が大挙してするようになり、トランプ・サンダース現象が起きているというのに。
 トランプはともかく、サンダースは特別代議員以外でもう少し接近するか逆に上回れば、予備選のシステムに声を大にして異議を唱えただろう。
 私は、この粘り強い敗者たちの執着ぶりに逆に感心する。
 映画「不都合な真実」で自分をPRしたゴアがもし大統領になっていたら?というたらればの話だが、イラク戦争はなかったかと言えば、やっぱりあっただろう。
 と言うのも、彼は原子力の会社の役員をしていた原発推進派だからだ。
 メキシコ湾のシェール・オイルの開発も遅れただろうし、オバマの登場もなかっただろう。
 しかしまあ、そんなこと言っても、無意味なことは分かりきった話。
 他国のことではそれが言えても、日本のことや自分の身の回りのことでは、それがどうしてわからないのか?
 「過ちを改むにはばかることなかれ」という言葉はあるが、主語が何かわからずに使っている。
 それは君子の戒めのことばであり、主語は君子(為政者)なのだ。
 民衆ではない。
 英国のキャメロン首相は次の船頭は私じゃないと辞任を表明したが、タックス・ヘイブンの財産隠しを暴露された彼が残留を唱えても、無理があったということをどうして残留派は指摘しないのか?
 あのリークには、謀略の臭いがしていたが、ああ、これだったのかという気もしないではない。
 大衆はどんな政治体制下でも、操られるだけの存在でしかないというのが現実だ。
 「ブルータス、お前もか!」のブルータスはシーザー子飼いの政治家だったが、独裁者になりつつあるシーザーを共和制の理念から私情を捨て暗殺したが、ポピュリストのアントニーの「裏切り者を殺せ」という扇動に負けて自害する。
 この史実の教訓は何だろう?
 理念はポピュリストには敵わないということか?
 そうじゃない、感情の力を上手に使えと言うことだ。
 理念だって、根幹は感情に基づいているものなのだから。
 EU残留派が損得感情に訴えようとしたのは戦術的に正しいが、それをエスタブリッシュメントと目される人間が言っちゃあ、逆効果だ。
 離脱派に、金よりも命だろ、誇りだろ?というもっと強い感情に訴えられて負けてしまう。
 ま、何でも自分にとって望ましくない結果に終わったら、どうするか?難しいが、現実を受け入れてから、前を向いて進むしかない。
 何か、昨夜見た映画「雪の轍」(2014年、トルコ、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督)みたいなこと言ってるよ、オレも。
 では。

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