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2016年7月7日 / misotukuri

映画「トム・アット・ザ・ファーム」の愛は幻想だった度

 映画「トム・アット・ザ・ファーム」(13年、加、グザヴィエ・ドラン監督、グザヴィエ・ドラン、ピエール=イヴ・カルディナル他)を見た。
 初めに断っておくが、これはゲイ映画なので、そういうのが嫌いな人はパスしてくれたまえ。
 ゲイ映画というのは、結構多くて、インモラルなデカダンスを知的に許容出来るかどうかなのだが、・・・
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%BA%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E6%98%A0%E7%94%BB#.E6.AC.A7.E7.B1.B3.E3.81.AA.E3.81.A9
 これで見ると、傑作が沢山あるね。
 私の好きな作品も「ロッキー・ホラー・ショー」とか、いくつかある。
 そのなかで、この「トム・アット・ザ・ファーム」はどうかと言うと、レベルは高いね。
 ストーリーは、恋人をなくした青年トムが恋人ギョームの葬儀に参列しに生家の農場を訪れたのだが、二人の本当の関係を知っているギョームの兄フランシスに、葬式が終わるまで友人として振る舞うよう脅迫される。
 そうとは知らないギョームの母親アガットは、ギョームの恋人と聞かされていたサラが来ないことに不満をぶつける。
 トムは、サラから聞いた話として、ギョームへの想いをアガットに話すのだったが・・・と言うもの。
 トムが荒々しく暴力的なフランシスにギョームと重ね合わせて、次第に惹かれていくんだろうなと思って見ていると、案の定、そうなったんだな、これが。
 しかし、いいのだ、たいてい恋愛ってそういうもの。
 死んだ恋人の兄弟姉妹や父母、息子や息女に面影を重ね合わせて、好きになってしまうのは、肉体的な親和力なのでしかたがないところ。
 だが、もちろん死んだ恋人とは似て非なる存在であって、あくまで別人なので、死んだ恋人の代替ではなく、新たな今生きている別の恋人としての関係を築いていけるかどうかなのだ。
 前者はネクロフィリアであり、後者はバイオフィリアとでも言おうか。
 健康的なのは後者だが退屈なのに反し、前者は不健全で面白いから、ちょっと変わった小説や映画のネタになる。
 この映画は、トムのフランシスへの愛はネクロフィリアな幻想であり、彼とは新たな恋人としての関係を築けないと悟ったということだろう。
 ラストでフランシスが着ているジャケットがアメリカの国旗を背中にあしらったもので、クレジットと共に流れ出す歌がアメリカ・バイバイという感じの歌で(なかなかいいのだが)、暴力による加害者よりも被害者に寄り添う生き方をしたいと言うことなのかな?
 あくまでゲイであることとは関係なくね。
 では。

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