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2016年7月25日 / misotukuri

映画「ハンガー・ゲーム FINAL:レボリューション」のわかりきった結末度

 昨夜は孫が帰ってから映画「ハンガー・ゲームFINAL:レボリューション」(15年、米、フランシス・ローレンス監督、ジェニファー・ローレンス、ジョシュ・ハッチャーソン他)を見た。
 これが「ハンガー・ゲーム」シリーズの完結編。
 最初から特に優れているとも思わなかったので、1,2,3-(1),3-(2)と最後まで見るつもりはなかったのだが、やっぱり、シリーズものは見始めると結局見てしまうものだ。
 通しで見ると、なかなか良かったんじゃないかと思う。
 先に断っておくけど、破滅後の世界ものとしては、「ダイバージェント」(14年、米、ニール・バーガー監督、シャイリーン・ウッドリー他)の方が、政治的な比喩的としてはよっぽど優れていると思うが、こちらの方はシニカルすぎたのか、批評家の評判は散々だった。
 「ハンガー・ゲーム」の1は、「バトル・ランナー」(87年、米)のアーノルド・シュワルツェネッガーをジェニファー・ローレンスに変えただけで、新鮮味は全くなかった。
 この世界をどう膨らませようと、結末は同じと思ったのだが、「ハンガー・ゲーム3」の(1)前編で、ああ、こりゃ、結末はちょっとひねってくるなと思った。
 カットニス(ジェニファー・ローレンス)は、要するにジャンヌ・ダルク(反乱軍のシンボル)にさせられようとするが、ゲームの駒にされるのを嫌う彼女はそれを拒否するのだろうと思ったわけ。
 そして、反乱軍のリーダー、アルマ・コイン首相は、その名のとおり、コインには裏と表があったわけだ。
 プルターク(故フィリップ・シーモア・ホフマン)は、「プルターク英雄伝」のプルタルコスのように知恵者で、第75回ハンガー・ゲームのチーフ・ゲームメイカーにして反乱軍の参謀だが、彼だけがすべてお見通しだった。
 カットニスは、「狡兎死して走狗煮らる」にもならず、独裁者にもならず、伝説となって、歴史の彼方へと消えていく。
 「Old soldiers never die, but fade away.」
 彼女には、この言葉がふさわしい。
 では。
<追伸2016.7.25>
 「アメリカではYAに絶大な人気だが、日本ではさっぱりウケてないのは何故か?」という質問があったので、私なりに考えてみた。
 まあ、少なくとも、反エスタブリッシュメントであると同時に、「お前がそれを言うか?」というプロ政治家不信(反知性主義)というのはあるのではないかと思う。
 信じられるのは、結局、家族、友達、恋人だけなんだよというメッセージかな?
 日本では、格差が拡大とか何とか言いながらも、反エスタブリッシュメントなんてない。
 反官僚もないし、プロ政治家不信もないのでは?
 それが、何に起因するのか、仮説はあるが、自信はない。
  

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