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2016年8月14日 / misotukuri

映画「メイズ・ランナー2:砂漠の迷宮」で大絶滅期の生き方を考える

 昨夜は、映画「メイズ・ランナー2:砂漠の迷宮」(15年、米、ウェス・ボール監督、ディラン・オブライエン、カヤ・スコデラーリオ他)を見た。
 今年見た映画100本目という一区切りだったが、見ている間は何とか面白かったよ。
 お盆だし、これぐらいでちょうど肩が凝らなくていいかなと思う。
 ではあるが、・・・といつもの段で難しくなる。
 この映画、前作の「一体これは何なのだ!?」という不条理感はないね。
 第一、すぐに前作の謎が解けてしまうから。
 そして、前作のメイズ(迷路)をクリアした少年達は今度はゾンビでいっぱいの破滅した世界の直中に投げ込まれてしまう。
 太陽フレアが地球を襲い地表の全てを焼き尽くし破壊してしまった世界にかろうじて生き残った人々を襲ったゾンビ化する疫病の蔓延。
 人類は二重のダメージを受け、絶滅の危機に瀕している。
 その中でゾンビ菌に耐性を持った遺伝子を持つ少数の少年少女達がいることが判明する。
 WCKD(世界災害対策本部)は、彼らを集めてゾンビ病の治療法を研究してきた。
 ・・・とまあ、前作での謎とは、そういうことだったのだ!
 どうやら、前作の巨大迷路での実験は、彼らの潜在能力を引き出し、選別するためのものだったみたいだ。
 (そんなことをしなくても簡単に選別出来ると思うが???)
 そして、ようやくWCKD(世界災害対策本部)は特効薬の開発にある程度成功したのだが、その製造には何と彼らの血が必要だった!
 そこで、人類を救うための方法をめぐって、WCKD内部で路線対立が起きる。
 すなわち、次の1.か2.かだ。
 
<1.選ばれた少年少女たちを強制的に植物人間化させ血液を大量生産させる>

 この方法は、理想社会の実現のためには多少の犠牲は仕方がないという考え方。
 ナチズム、コミュニズム、宗教原理主義などに共通する「革命系」の考え方。
 利点は、スピードがあるということで、数多くの人類を一気に救うことが出来る。
 欠点は、破滅前に抱えていたいろいろな問題もそのまま復活させてしまうということ。

 <2.選ばれた少年少女たちの自発的献血により更に研究を続け、当面は救える者のみ救う>

 こちらの方法は、どういう理想社会を選ぶかはあくまで選択権のある個人の意思によるべきだという個人主義、自由主義、人権主義、共同体主義などの「改良系」の考え方。
 この利点は、ゾンビ菌に耐性を持っている少年少女たち自身が、救うに値すると思える人間のみ救うことが出来るということ。
 欠点は、そういう選別は、結果として同種の人間ばかりで構成される脆弱な社会を作ることになる。

 WCKD(世界災害対策本部)は、世界を緊急に救うという立場から、当然、1.の立場を取っている。
 だが、それがそこの権力者たちの利己的な動機ではなく、博愛的な理想で動いているのかどうかは、本当のところよくわからない。
 イマイチ信用しきれないところが残る。
 主役の少年と少女は、最後に1.と2.と別の陣営に別れて、第三部で戦うことになる。
 さて、本当にどちらがいいんだろうね。
 もう一度、よく考えて欲しい。

 この破滅した世界では、生き残った人類の大多数は既にゾンビ化している。
 こういう世界では、民主主義は機能しない。(ゾンビにも一票を!)
 まるで、民主主義を支える中間所得層が没落し民主主義が機能不全に陥っている現代先進国社会を象徴したみたいだ。
 更に言えば、WCKD(世界災害対策本部)に集められたゾンビ菌に耐性を持っている少数の少年少女たちというのは、ようするに寡占化された富(資産)の象徴だ。
 そうすると、この映画の太陽フレアによる文明社会の破壊とゾンビ蔓延による人類絶滅の危機というのは、現在のグローバル化した経済の行きすぎによる資本主義社会の終焉を象徴しているのかも知れない。
 その中で、一握りの覚醒した者たち(エリート及びエスタブリッシュメント層)がどのようにして理想社会を築こうかと二手に分かれて戦っている。
 私が思うに、両方とも同じ迷妄にとらわれていると思う。
 だってね、そんな時代じゃないだろ?
 この世界というのは、全生物がガラガラポンの大絶滅(パンデミック)の時代を迎えており、その中で人類もまた同じく大絶滅期を迎えているのだという時代認識がない。
 人類はかっての恐竜のように滅びるのだ。
 いや、すでに滅びているのだ。
 だが、この映画は、文明批評というか諷刺がテーマだから、そこまでSFではない。
 しかし、SF的リアリズムに基づき考えると、このような大絶滅期を生きる一人の人間としては、まず、2.の方法で自ら細々と生きぬくことを考えるべきだろう。
 そして、そこに文明を復活させる芽がまだ残っていればそれで良し、ダメならダメでそれもやむなしだ。
 これが「マッド・マックス4怒りのデス・ロード」で明らかになったマッド・マックス的生き方かな?
 これが大絶滅期を生きる正しい生き方だと思う。
 オレは好きに生きる道を選ぶ。
 お前らが力を合わせて理想社会に再建出来ると思うならやってみろ。
 だが、そのために誰だろうと他人を犠牲にするのは許さない。
 ・・・という感じ。
 現代の政治的特徴というのは、共産主義国、EUなど、エスタブリッシュメントによる理念先行の理想社会への幻滅かな?
 だが、知的エリートたちはやり方さえ間違えなければ、今度こそうまく行くと根拠もなしに思い込んでいる。
 彼らにはイデオロギーの終焉ということが、いまだに理解できていない。
 大衆が理想社会を信じなくなっているというのにね、どうかしてるよ。

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