Skip to content
2016年9月12日 / misotukuri

映画「ナイトクローラー」でサイコパスしよう!

 先日、映画「ナイトクローラー」15年、米、ダン・ギルロイ監督、ジェイク・ギレンホール、レネ・ルッソ他)を見た。
 食い詰めた若者がふとしたことから事故写真とか映像が金になることを知り、見よう見まねでパパラッチの世界に入っていく。
 行き着く先は、ヤラセではないにしても現場創作。
 人の死や破滅をネタにするのが彼らの商売。
 友や仲間の死までもネタにするというのはいかにも酷薄に見えるが、プロに徹すれば、当然、自分の死までもがネタにならざるを得ない。
 それに耐えられるかどうかが、プロとアマの分かれ目と思う。
 たぶん、無感動、共感力欠如とかの人格障害的人間でなければ、プロに徹することは出来ないのだろう。
 9日の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」欄で「戦場に立つということ」と題した戦場心理学の専門家 デーブ・グロスマンさんへのインタビュー記事にこういうのがあった。
 第二次大戦中の米陸軍兵士へのアンケート調査だが、接近戦で敵の見える方向に発砲していた小銃手はわずか15~20%で、いざという瞬間に事実上の良心的兵役拒否者が続出していたということだった。
 このことから、米陸軍では、如何にして殺人への抵抗感をなくすかという訓練をするようになり、発砲率は朝鮮戦争で50~55%、ベトナム戦争で95%前後に上がったそうだ。
 この殺人への抵抗感は、徴兵制のアマ軍隊と志願制のプロ軍隊とでは、更に違いがあるだろうことは想像に難くない。
 人間は、訓練次第で、無感動、共感能力欠如のようにもなれる。
 プロというのはある意味、人間的感情を抑制して機械のように仕事ができるということ。
 だが、元々生存本能からくる単純で原始的な感情しか持たないサイコパスのような人間がいて、現実の日常生活では、努力して人間的感情を抑制しているのか、そもそも元から持ってないのか、なかなか区別がつかないのが問題だ。
 こういうサイコパス的人間を見て、おバカな普通の人間はたいてい「オオッ、スゴイな!」と感心してしまうのが関の山。
 この映画の主人公も、サイコパス(反社会的人格障害)だろう。
 ある程度、賢いが、理解が表面的で、自己顕示的、自己愛の延長でしか対象を見られない。
 普通の人間が、法に触れないかとか人道的にどうかとか悩み苦労して、体得したスキルを、悩む必要がないから、易々と手に入れられる。
 この手の人間はアメリカでは25人に1人(4%)、日本では更にその1/10~1/100程度いるとされている。
 空恐ろしいのは、彼らは全て犯罪者というのではなく、犯罪を取り締まる側にもいるし、いろいろな組織権力のトップにも多くの割合で偏在的に存在するということだ。
 「LAW&ORDER」などを見ていると、私にはアメリカの司法が犯罪者とゲームをしているようにしか思えないのだが、それにはやっぱり何かの理由があるのだろうと思うようになった。
 被疑者逮捕時のミランダ警告、被疑者の拘束時間は24時間から48時間、証拠の違法収集の禁止、被疑者取り調べのほぼ全面開示、一つの合理的疑いで無罪、推定無罪原則・・・等々。
 これは、司法権力の暴走を阻止するための司法と被疑者とのフェア・ゲームの取り決めだ。
 ところで、フェア・ゲームとは何かという定義が「フェア・ゲーム」(ヴァレリー・プレイム・ウィルソン著)に乗っているのが面白い。
 引用すると、<(公平なゲーム)の意味を持つ一方で、攻撃や批判、嘲笑などの(格好の的)、(都合のよい標的)、(いいカモ)というような表現で用いられる>そうだ。
 (公平なゲーム)に拘る高潔な人間は、(いいカモ)だということ。
 ところで、なぜここまでフェアに拘るかと言えば、やはり、サイコパスのような良心を持たない人間が多すぎるからだろう。
 彼らは平気で嘘をつくし、他人の心の痛みがわからない、絶対に反省しない。
 こういう人間に普通の人間は易々と陥れられてしまう。
 そういう認識が欧米の社会にはあるのだと思う。
 だから、サイコパスではなく、普通の人間の冤罪を防ぐためにこういう制度が必要なのだろう。
 決して人権感覚が進んでいるからではない。
 権力への冷めた感覚が潜んでいると思う。
 それはともかく、往々にしてサイコパスの方が普通の人間より賢い場合が多いということが問題だ。
 普通の人間はサイコパスに騙されていることになかなか気がつかない。
 彼らは決して普通の人間が考えるようには考えない。
 しかし、そのことでもってサイコパスを敵視してはならないと思う。
 彼らは、人類社会の停滞を防ぐダイバージェント(異端者)なのだ。
 むしろ、人間観の広がりを受容するというか、彼らも人間だと言うことを受け入れるべきだと思う。
 同時に、彼らのような人間を見抜き、適材適所で利用することを考えるべきだろう。
 では。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。