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2016年9月29日 / misotukuri

映画「赤い砂漠」の何に渇望度

映画「赤い砂漠」(64年、伊・仏、ミケランジェロ・アントニオーニ監督、モニカ・ヴィッティ、リチャード・ハリス他)を見た。
これはとっくの昔に見ておくべき映画だったね。
この映画、「おっそろしく退屈だった」という友人の話でおぞけをふるって、ずっと見ないで来たが、さすがにもういいだろうと見始めたら、なんと。
きれいだね。
それが第一感。
工場とか貨物船とかバラック小屋とか塗りかけの壁しかない部屋とかが出てくるのだが、映像が絵画的というか、象徴的というか、心に訴えてくるというか、凝ってるね。
ストーリーはあってないようなもので、ああ、こいつとこいつがああなってこうなってという具合に簡単に予想はつくのだが、ときどきこちらの誤解を正してくれるようなハッとする展開があり、おぬし、なかなかやるな、という感じ。
だが、結局、モニカ・ヴィッティ演ずる女に、どんな教訓があるのか、わからなかった。
まあ、映画に教訓を求めるわけではないがね。
交通事故で死ぬ思いをした彼女は、心身症に陥り、自殺未遂で病院に入院したこともある。
彼女の精神状態はほぼ回復したとは言え、まだまだ不安定で、ときどき異常行動をする。
彼女の心の悩みは、周囲の者に愛されたいのに愛されていないこと。
そして、誰にも必要とされていないこと。
夫も自分をいたわってはくれるが、事故前のようには愛してくれていないと感じる。
一人息子が足が痛くて立てなくなる事件が起きるが、やがて幼稚園に行きたくないがための仮病だとわかる。
その時彼女は、自分は息子を必要としているが、息子は自分を必要としていないと悟る。
彼女は、人間存在の孤独とも言うべきものに直面し、錯乱する。
ようするに愛の渇きなんだろうが、私は思うのだ。
意地悪かもしれないが、もしも、彼女がぶくぶく太ったおばさんになったら、いや、おばあさんになったら、どーなのよ、とね。
それでも、彼女は愛されたいのと思うのだろうか?
雀百までというが、女性はいつまでたってもそういう妄念から逃れられないものだろうか?
よくわからない。
だが、それがホントなら、この映画は傑作だと言えるだろう。
乙女の願いはただ一つ、愛する人に愛されること・・・ポーの「アナベル・リー」だったかな?
これが永遠に続くのか。
そんなこと、どーでもいいじゃねーかと思うのは、私が男だからだろうか?
男は、だいたい、客観的に無理だってことが、わかってる。
わからないのは、ストーカー。
孫が「じっちゃーん」と声を上げて抱きついてきても、ママが来ると「バイバイ」だからね。
しょせん、その程度だってことはわかってる。
特に、最近、下が出来て、赤ちゃん返りした孫の言動を見ていると、私のことを自分の下僕か何か所有物のように思っているということがよくわかった。
ま、その程度だよ、男なんて。
勘違いするまでもない。

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