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2016年10月7日 / misotukuri

映画「ドローン・オブ・ウォー」で対テロ戦争を考える

 映画「ドローン・オブ・ウォー」(15年、米、アンドリュー・ニコル監督、イーサン・ホーク、ジャニュアリー・ジョーンズ、ゾーイ・クラヴィッツ他)を見た。
 これで見る限り、ドローン攻撃というのは、空のスナイパー(狙撃兵)と言う感じだね。
 スナイパーというのは、正規兵からは蛇蝎のように嫌われ、恐れられ、軽蔑されている。
 それは何故かというと、彼らは卑怯にも正規兵たちの見えない所から自分たちを狙って撃ってくるからだ。
 ドローン(無人攻撃機)も全く同じで、狙われた方は反撃するすべもなく、恐怖におののくことになる。
 対テロ戦争の現場では、しばしば軍隊は行動規範に反する攻撃を意図的に行う。
 それは本来なら軍法会議ものなのだが、相手がテロリスト集団であり、国家間の戦争ではないからだ。
 この映画でも、CIA主導の対テロ戦争では、さすがに戦争犯罪となるようなヤバイことは最初から記録されないが、多分、実際もそのとおりなのだろう。
 それでは情報公開の意味がないではないかと言いたくなるが、そもそも情報公開を要求するのがことの性質上無理なのではないか?
 だいたい対テロ戦争と言うが、何対何の戦争か?
 テロは手段であって、戦争の主体ではない。
 もっとも、これまではゲリラと違って、テロは戦争の手段ではなかったのだが。
 近代の戦争とは、国家対国家の武力を用いた戦いの意味だったが、テロを戦争の手段に使った主体は、国家とは言えない組織で、彼らの敵はUSAやフランスあるいは英国といった国家でもない。
 どちらかというと、そういう国家の事実上の支配者だろう。
 対テロ戦争の本質とは、文明国家の事実上の支配者たちVS彼らに反感を抱くテロリスト組織なのだろう。
 だから、我々文明国の庶民は、テロリストたちのテロ攻撃に恐怖を抱きながらもある種の共感をも感じるというアンビバレンツな精神状態に置かれるのだ。
 この映画「ドローン・オブ・ウォー」でも、主人公の少佐が来る日も来る日もサラリーマン的にドローン攻撃で人殺しをすることに耐えられなくなるのは、CIAの作戦責任者からの「国や国民を守るため」という説明に納得出来ないからだ。
 ムハマド・アリが「オレはベトコンどもにうらみはねぇぜ」と言って徴兵忌避したのと同じで、自分の戦争とは思えないところに問題があるのだ。
 主人公の少佐は、ついに個人的な犯罪行為をして、職場放棄してしまう。
 個人的な犯罪行為は絶対に免責されないことだが、あいにく、記録がされていないので、確認が出来ないのは、さてさて、どう考えたらいいのか?
 では。

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