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2016年10月9日 / misotukuri

映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」の成仏度

 昨夜は映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」(08年、米、マット・リーヴス監督、マイケル・スタール=デヴィッド、マイク・ヴォーゲル、オデット・ユーストマン、リジー・キャプラン、ジェシカ・ルーカス、T・J・ミラー他)を見た。
 ちなみに今日は「サウンド・オブ・ミュージック」を見たので、あまりの落差に戸惑っている。
 「クローバーフィールド」は、モキュメンタリーと言って、擬似ドキュメンタリー映画で、手持ちビデオカメラで如何にも本当らしく撮っているように見せているが全くのフィクションであることはわかりきった映画。
 何故なら、怪獣がNYマンハッタン島を襲うのだから、現実であるはずがない。
 ところが、「サウンド・オブ・ミュージック」は、自伝を元にしたミュージカルで当然創作だが、当時のオーストリアの政治情勢などだいたいのところは史実だろう、似たような事件があったに違いないと思う。
 つまり、フィクションなんだけど、史実を踏まえていると思う。
 だが、実際はその史実と思えることや個人的事件もデタラメであることは、いろいろな研究が明らかにしているところだ。
 たまたま典型的な例が続いて混乱してしまっただけなのだが、ホント、感動を引き起こすリアリティって何だろうなと思う。
 ところで、「クローバーフィールド」は、恋人同士のロブとベスが共に避け得ない死を目前の状態で、「愛してる」とお互いに伝え合うところがカタルシスなわけで、二人はこれでいわゆる成仏できるんだろうなと思う。
 関係を持ったベスを出世のために一時は棄てようと思ったロブだったが、そして、栄転とともに遠くに去って行くロブとの別れは悲しいけれど婚約していたわけでもないからとあきらめていたベスだったが、生死に関わる突然の災厄が、二人の切れかかった絆を修復し、前以上に強く結びつけることになった。
 この突然出現した怪獣は、まあ言えば、9.11同時多発テロや3.11巨大地震による津波、あるいは福島原発事故の象徴で、自分の命が助かろうと思うなら、何もかも捨てて、とにかくその場から安全な所に逃げることなのだ。
 だが、理由は何であれ、それが出来なかった者はその時点で、自ら死への道を選らんだことになる。
 あとは、出来るだけ、良い死に方をすることをめざすだけ。
 自宅で大きな家具か何かの下敷きになって身動きが出来なくなったベスを助けに行くと決めた時、既にロブは自分はこれで死んでもいいと決めたのだ。
 ロブが行く頃にはベスはもう死んでいると思いながらもロブに同行する仲間たちも同様。
 何か、映画「アラモ」でアラモに義勇兵として駆けつけるデビー・クロケットに死地に赴くことになると薄々わかっていながら同行する無名の仲間たちを思い出す。
 「人間、死ぬ時は選べないが、死ぬ場所は選べる」とか言うんだな。
 たいていこういう小理屈をこねるのは男と決まっているが、こういうのを自己満足の死とでも言うのだろう。
 ロブに同行する仲間の内、女が二人だが、彼女らの精神構造は多分男とは少し違うだろうと思うのだが、よくわからない。
 そのあたり、この映画を見た女性に分析して貰いたいものだが・・・
 では。

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