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2016年10月17日 / misotukuri

「家康は関ヶ原で死んでいた」は歴史ファン必読の書

 北海道3泊4日の旅を終えて先週の土曜日の夜ようやく帰り着いた。
 北海道は2度目だったが、総じて良かった。
 旅行中、空港やホテルで何か1冊読もうと思い持って行ったのがこれ、「家康は関ヶ原で死んでいた『二代目家康が駿府で見た夢と野望』」(島右近著)。
 家康嫌いの私のような人間でも、この本は面白いと思う。
 家康影武者説というのは私も昔から知っていたが、それがホンモノとすり替わっていたという説はさすがに完全なフィクションだろうと思っていた。
 しかし、そもそもその説を初めて世に問うた人物のことは全く知らなかった。
 明治35年(1902年)のことだ。
 村岡素一郎という人物が「史疑 徳川家康事蹟」によって初めてそれを唱えたところ、あまりの衝撃的内容だったため、初版500冊をたちまち売り切った後、絶版になってしまった。
 私の叔父が自費出版で私小説を出したところ、それが店頭に並ぶやたちまちにして登場人物の一人に買い占められ、ついにほとんど誰の目にも触れられないまま闇に消えてしまったということを昔聞いたことがあるが、似たようなことがあったのだろう。
 それはともかく、村岡素一郎氏が唱えた家康影武者入れ替わり説のそもそもの発端は徳川家康側近の儒学者林羅山が著した「駿府政事録」の中の衝撃的一文にあった。
 本から少し引用してみよう。
<「慶長17年(1612年)8月19日、御雑談のうち、昔年御幼少のとき、又右衛門某という者あり、銭500貫、御所を売り奉るの時、9歳より18,9歳に至るまで、駿府に御座の由、談らせ給ふ。緒人伺候、衆、みなこれを聞く、云々」
 つまり林羅山が書き残したともいわれる大御所時代の『駿府政事録』によると、家康は幼い頃、駿府で又右衛門某という者に銭500貫で売られたことがある、と告白していたのである。まさに衝撃の告白である。さらに村岡の説によると、売られた相手は願人(がんにん)と呼ばれる、妻帯肉食を許された修験者だという。(以下、引用略)>
 下克上の戦国時代、氏素性のわからない荒くれ者が各地で覇を唱え、せっせと貴人につながる系譜を求めて権威付けしていた時代に、一人徳川家康だけは清和源氏新田義貞につながるれっきとした血筋の子孫ということだったのに、「実はな、オラ、そこらのささらもんの出よ」というエエッ???!!!と、腰を抜かさんばかりの衝撃的カミングアウトだった。
 これは明治維新も落ち着き、それこそどこの馬の骨ともわからん者が明治の元勲とやらで華族に列せられ、偉そうな顔をしてのさばっているときに、波及効果ありすぎの困った「不都合な真実」的スキャンダルではないか。
 かの徳富蘇峰がこの書の増刷を拒否したとか言われるが、徳富蘇峰は当時既にかっての反体制ジャーナリストではなく、政府寄りの言動をする変節漢となっていた。
 ・・・とまあ、そこら辺を立ち読みして、衝動買いしてしまった一冊だが、これはスゴイね。
 「史疑 徳川家康事」の現代語訳本も出ているらしいから、一度読んでみたいものだ。
 この村岡素一郎氏の説は、家康「桶狭間死亡説」というもので、その後、いろいろな人により、だいたい、「関ヶ原死亡説」と「大阪夏の陣死亡説」という3つの説に大別されるようになった。
 この本は、「桶狭間死亡説」「関ヶ原死亡説」「大坂夏の陣死亡説」それぞれの歴史的検証をしつつ、では影武者がすり替わったとすれば、誰がどのようにして云々、ようするに、ミステリの4W1Hを考えて行った書だ。
 歴史ミステリと言えば、ジョセフィン・テイの「時の娘」、高木彬光の「成吉思汗の秘密」、そして私が完全に信奉している関裕二の日本古代史関係の諸作品。
 こういうのにハマると夜が眠られなくなる。
「桶狭間死亡説」なら、正妻築山殿と最愛の長男信康を信長の命により殺害しなければならなかったことの疑問は氷解する。
 いくら家康が我慢強いとは言え、よくぞ我慢出来たものだと誰でも思うよな。
 なるほどねえ。
 次に「関ヶ原死亡説」。
 これは、確かにそれらしい事件はあったのだが、そこで殺されていたとしたら、誰が刺客を放ったのかが、歴史上の謎だ。
 これも、そうか、なるほどの巻き。
 また、「大坂夏の陣死亡説」も真田信繁は失敗しており、後藤又兵衛に刺殺されたとかいう説もあるが、どの時点で死亡したとしても、そうかもねというレベル。
 ただ、自由都市堺の中の南宋寺に徳川家康の墓があり、二代将軍秀忠と三代将軍家光が相次いで訪れたことがあるという事蹟だけが、「大坂夏の陣死亡説」大いに脈ありか。
 いずれにしても、徳川家康は、秀忠に将軍職を譲り、駿府に引っ込んでから死ぬまでの10年間で、それ以前の家康とははっきり変わったことがある。
 それは、調べてみればわかることで、誰によっても消しようがない歴史的事実なのだが、下世話な話ながら、女の嗜好だ。
 徳川家康は年増の後家さん好みで有名だったが、駿府ではガラリと変わり若い女が好きになるのだ。
 これは、言われてみれば、確かにとニヤリとするのだが、それでも駿府で生まれた子供たちが、御三家の紀州徳川家、水戸徳川家の祖となるという点が入れ替わり説の欠点のようにも思える。
 ただし、尾張徳川家の祖は、「関ヶ原死亡説」でもホンモノの家康の子のようだ。
 いずれにしても、この本は読んで損はない。
 なお、これに本格的に取り組んだ隆慶一郎の「影武者徳川家康」も買ってきた。
 今年の読書の小説の最後はこれになるかも。
 SFファンのJinchanがこんな本を読むようになるとはね。
 では

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