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2017年3月2日 / misotukuri

映画「エミリー・ローズ」のエクソシスム度

 昨夜見た映画「エミリー・ローズ」(05年、米、スコット・デリクソン監督、ジェニファー・カーペンター、ローラ・リニー、トム・ウィルキンソン、キャンベル・スコット他)は、ドイツで1976年に現実にあったエクソシスム(悪魔払いの儀式)で女性が死亡した事件の裁判をモデルにした映画だが、実によく出来ている。
 エクソシスムを扱った映画では最高じゃないかな?
 恐いし、科学的だし、感動的だ。
 同じ題材で、この映画と違って、検事側から描いた作品もある。
 TVドラマ「LAW&ORDER」の何回目だったか忘れたが、こちらの方は当然ながら神父に否定的だった。
 この映画の中で、カソリックの信者である検事と不可知論者のやり手女性弁護士が超常現象的事件のファクトについて最終弁論で述べるのが面白い。
 検事のファクトは、「真相」と訳され、弁護士のは「事実」と訳されていた。
 ファクトを真相と訳すのもどうかなとは思ったが、まあ、真実に近い事実ということか。
 検事はカソリックの信者だったが、神父が行ったエクソシスムや神父が悪魔の出現と呼ぶものは、科学的にすべて説明できるとして、超常現象に見える出来事すべてを見事に証明してみせる。
 検事の役割は、起訴し、犯罪を立証することで、弁護士は完膚なきまでにたたきのめされる。
 しかし、不可知論者の弁護士としても、神父の弁護を引き受けて以来、偶然にしては不可解な出来事に悩まされるようになっていた。
 (なお、旧約聖書外典とか、70人訳聖書とか、三位一体への嘲りとか、面白い話がいっぱい出てくるので、このあたりも興味深い。)
 まさに、恐ろしくも悪魔が実在するとしか思えないような合理的には説明のつかない偶然の数々。
 だが、それは決して裁判では使えないことだった。
 そこで、彼女は、いわゆる合理的疑いをもって戦うことになる。
 合理的疑いというのは、神父の過失傷害致死についての検察の立証に対し、他の可能性もあるのではないかという主張をするだけで良いのだ。
 そういう法廷ドラマ以上に、エクソシスムの用意周到なまでの厳密性へのこだわりが、明らかになるにつれ、映画を見ているこちらも、或いは本当だったのかも知れないと思えてくる。
 信仰を失った現代人が、神父とエミリーの互いに信頼し合う信仰者としての絆の強さを見せられた時、ファクトは確かに検事の言うとおりだろうが、それで果たして良いものだろうか?と思えてくる。
 特に、エミリーの手紙で明らかにされる真実は見る者の心を打つ。
 そうか、これが悶絶するほどの苦痛を受け入れる殉教者の心理なのかと。
 殉教者ならずとも、すべからく死を迎えるに当たっての凡人の心構えの参考になろうというもの。
 この映画、これは、決して単なるホラーではない。
 映画ファン必見の作品だな。
 では。
<追伸2017.3.3>
 映画をDVDにダビングしていて、気がついたのだが、弁護士がいいことを言っていた。
 「事実とは疑問をはさむ余地のないものです」
 なるほどね。
 弁護側の「合理的疑い」の主張に検事が反証できなければ、検事の立証したことは、必ずしも「事実」とは言えないものなのだ。

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