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2017年3月9日 / misotukuri

映画「バッド・ルーテナント」のどこから幻想度

 昨夜見た映画は、「バッド・ルーテナント」(09年、米、ヴェルナー・ヘルツォーグ監督、ニコラス・ケイジ、エヴァ・メンデス、ヴァル・キルマー他).。
 見終わってすぐに感想を書こうとして、如何にもご都合主義の下らない映画だなと思い直し、書くのをやめたのだが、何となく気になるところがあって、夢の中で考えていた。
 ハリケーン・カトリーナが襲った夜、水没しつつあったニューオーリンズの拘置所で、避難から取り残された囚人を救助したことで、表彰された警部補マクドノーは、その時受けた脊髄損傷で薬用麻薬の常用から麻薬依存症になる。
 彼は、正義感に満ちた仕事中毒の辣腕刑事という評判とは裏腹の悪徳警官で、他人の弱みにつけ込んで脅迫暴行したり、押収した薬物を窃取したり、不法賭博で借金が嵩んだりと、もう公私混同のメチャクチャ。
 そんな彼にも心から大事に思う人があり、それが娼婦の恋人フランキーであり、退職した元警官の父親で、どんどん堕ちて行く彼を二人の存在がなんとか正道に引き止めていた。
 セネガルからの不法移民の一家4人惨殺事件の捜査で、指揮を執る彼はいつもの強引なやり方ながらも見事な手際で主犯を割り出し追い詰めて行くのだが、事件を目撃した少年に証人保護プログラムが承認されなかったことから少しずつ歯車が狂ってくる。
 ところで、途中から、この薬物依存症の警部補は幻視するようになる。
 最初は、犯行現場の部屋の中の机の上にイグアナが二匹いて、突然、それらが歌を歌い出すというものだが、それはどうやら彼にしか見えないようで、幻視だとわかる。
 このシーンがどうにも唐突で、引っかかるのだ。
  二匹の美しい声で歌う醜いイグアナは、主人公と相棒の刑事(ヴァル・キルマー)の象徴じゃないか?と後で思った。
 この映画、何かおかしい。
 どこかから現実と幻想とが混ぜこぜになっているのではあるまいかと、意識下で気に懸かっていたのだと気がついた。
 とすると、それはどこからだろう?
 あのラストシーンは、彼の抱えていた懸案は現実には何一つ解決せず、彼は絶望の袋小路に入って抜け出せず落ち込んでいるのだと解釈することもできるのではあるまいか?
 そうだよな、そんなにうまく行くはずがないわな。
 しかし、もしそうなら、この映画、ただものではない。
 自分が今こうしているという眼前の確実と思える現実に、これは幻覚ではあるまいかと疑念を覚えさせてくれる映画だ。
 では。

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