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2017年3月21日 / misotukuri

聖徳太子は実在か架空かはっきりさせろ!

 昨日の読売新聞からのコピペ。
<文部科学省が2月に公表した中学校の次期学習指導要領の改定案で「聖徳太子」を「厩戸王うまやどのおう(聖徳太子)」に変更するとしていたことについて、元の表記に戻す方針を決めたことが20日、分かった。>
 鎖国はともかく聖徳太子ははっきりさせた方がいいんじゃないかなあ?
 聖徳太子というのは、その存在が確認出来ない謎の人物。
 関裕二の熱烈なファンである私は、聖徳太子=蘇我入鹿説が正しいのではないかと思うが、そうなると大化の改新以前の古代史がガラリと書き換えられることになる。
 そもそも日本の古代史は、古事記と日本書紀という動かせないものがあって、両者に食い違いがある時は、古事記は事実に基づいたフィクション、日本書紀は神話の部分を除き、事実を記した正史ということになっている。
 古事記及び日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇の時だが、完成したのは持統天皇の影響の強い元明天皇、元正天皇の頃で、全員天智天皇系の女性天皇。
 ただし、母親は蘇我系の娘。
 特に持統天皇は、夫の天武天皇と一度の相聞歌も残しておらず、仲睦まじさを演出してはいるが、単なる皇子を生むための政略結婚に過ぎなかったと言える。
 天智天皇と天武天皇は異父兄弟で天智が兄とされているが、実は天武が年長。
 かつ、天武は生年月日がわからない天皇で、母親が斉明天皇(皇極天皇の重祚)であることは確か。
 ところで、皇極天皇は舒明天皇に嫁ぐ前に、推古天皇の夫である用明天皇の孫の高向王(父不詳)と結婚しており、漢王子を生んだが、この高向王と漢王子は歴史の闇に葬られた人物で名前だけしかわかっていない。
 皇極天皇は在任中蘇我入鹿の父蝦夷が大臣となり、入鹿が実権を握って国政を動かしていた。
 ところで、皇極天皇は吉備系統で、蘇我氏系統ではない。
 用明天皇は継体天皇の嫡子である欽明天皇の第四皇子。
 ややこしいが、この謎の人物高向王と漢王子が誰なのかを解き明かしていくと、推古天皇の摂政をしていた聖徳太子と天智よりも年長なのに弟とされている生年月日が不詳の天武天皇にたどり着く。
 だが、聖徳太子=蘇我入鹿=高向王で、漢王子が天武天皇となれば、歴史学会や中学校の教科書どころの騒ぎではなく、現在の天皇家の混乱にも影響が及ぶ。
 天智天皇が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の時に、なぜ蘇我入鹿を暗殺したのか?また、蘇我入鹿はそんなに悪い人間だったのか?という問いに、正史の説明とは違った別の説明が出来そうに思う。
 7世紀の奈良盆地の遺跡や神社の所在を調べていく内に、迷宮の奥へ奥へと入り込んでいく思いがする。
 ただ、はっきり言えるのは、聖徳太子をめぐる話には大きなトリックがあるということだ。
 ハイそうですかと鵜呑みにはできない。
 だから、文部科学省の小役人任せにせず、国史学者の総力を挙げて、聖徳太子が誰なのかはっきりさせて欲しい。
 では。

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