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2017年4月8日 / misotukuri

映画「グッバイ、レーニン!」のイデア論度

 昨夜、映画「グッバイ、レーニン!」(02年、独、ヴォルフガング・ベッカー、ダニエル・ブリュール、カトリーン・ザース、チュルバン・ハマートヴァ、マリア・シモン、フロリアン・ルーカス他)を見た。
 この映画、いわば、見え見えほのぼの悲喜劇感動もので、あまり食指は動かなかったのだが、昔ベルリンの壁崩壊直後に行ったことのある東ベルリンが舞台なので、どんな風に描かれているのかな?という関心で見始めた。
 簡単に、ストーリーの照会をしておくと、医者だった夫が単独で西側に亡命し、残された教師の妻はその反動で熱狂的な共産主義者の模範党員となったが、1989年10月7日夜、建国40周年式典に参加しようと出かけたところ、警官隊ともみ合っている反体制デモに息子が参加しているのを見かけて、心臓発作を起こし昏睡状態になってしまう。
 彼女は、このまま死ぬかと思っていたところ、8ヶ月後に奇跡的に覚醒した。
 だが、その間に、ベルリンの壁は崩壊し、東ドイツの社会主義体制は消え去り、ドイツは東西統一の実務を如何にして行うかという段階に入っていた。
 彼女は昏睡から覚めたとは言え、余命はあと数週間と医者には宣告される。
 「もう一度大きなショックを受ければ命の保障は無い」と医師から宣告された息子は、思案の末、母の命を守るため自宅に引き取り、姉や恋人や近所の人々の協力を半ば強要しながら、東ドイツの社会主義体制が何一つ変わっていないかのように必死の細工と演技を続けたのだったが・・・・・というお話。
 私がベルリンを訪れたのは、ちょうどこの映画に描かれた頃で、東西ドイツの政治統一の直前の頃だった。
 ベルリンの後、ボンに飛んで、政府職員から話を聞いたところ、通貨統合は終わっていたが、まだまだ問題は山積みで、政治統合のスケジュールは決まっているのだが、膨大な行政実務の詰めがまだまだできていないようだった。
 この映画は、通貨統合の締め切り後のトラブルが描かれているが、なるほどこういうケースもあっただろうなと思った。
 亡命を計画していて、へそくりを貯め込んでいたが、本人が認知症になってしまった後、急に体制が崩壊し、へそくりをどこに隠していたか思い出せなくなったとか。
 通貨統合では、東ドイツマルクの現金対西ドイツマルクの現金での交換は認めていなかったので、交換の締め切り日を過ぎて、へそくりが出て来たような場合は、パーになったのだろう。
 デノミでも、それはあり得るだろう。
 現在日本のタンス預金はどうやって調べたのか見当もつかないが、43兆円もあるという。
 これを表に出させたかったら、「銀行口座に入っているお金でないと新円には交換できません。交換期日を過ぎると、旧円は使用できなくなります。」とやれば良い。
 通貨供給量が一気に増え、デフレ脱却間違いなしだが、そんな政策立案者は北朝鮮で実際にあったみたいに社会に混乱を招き、処刑されるかもしれない。
 まあ、そんなことはともかく、ドイツ映画だから、小難しく、この映画の哲学的な側面に戻ろう。
 主人公である息子が演出したのは、もう一つの「可能性としての現在」だということだ。
 それは、彼の独白にも出ている。
 「自分が(母のために)創り上げようとしているのは、(現実には存在しなかった)自分の理想の東ドイツだ」というセリフ(記憶が定かでないが)があった。
 それは決して東西ドイツの政治統合で、ボロボロになって西に吸収されていく、哀れな東ドイツではない!ということだ。
 西ドイツから流入する人間や物品で溢れる現実が眼前にあっても、われわれが現実と思っているものはすべて現実そのものではなく、その写像の解釈にすぎないのだ。
 ここに至って、この映画は一種のイデア論と化した。

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