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2017年4月26日 / misotukuri

今村復興相更迭に見る本音で議論できない日本人

 手ぐすね引いて待ってたところへ、飛んで火に入る夏の虫とはこのこと。
 失言続きの問題大臣、今村復興相更迭は遅すぎたが、これはもう如何に安倍総理としてもかばいきれないね。
 「東北で良かった」とは、どんな文脈でも、復興大臣の言うべきことではない。
 これはちょうど、事故とかがあって、たまたまあいつが死んで、自分は生き残った、あーあ、あいつで良かった・・・というのと同じ。
 それは、まことに人間としての真情の吐露であり、本音だろうが、そういう話は責任ある立場ではできないとしたもの。
 だが、逆に、そうでない立場では、それは本来心得てしかるべきことなのだ。
 ところが、集団志向の強い義務教育で刷り込まれた思考方法に疑問を持たない人間には、そういうごく当たり前のことが、とんでもなく人倫に悖る非道な物言いに聞こえる。
 今村復興相失言批判は、自分でも認めたくない本音に触れられたからこそ、過剰に反発してしまうという現象なのだとも言える。
 本音の議論はまだまだ日本人にはできない。
 過剰なポリティカル・コレクトネスにうんざりしていたアメリカ人がトランプを選んだように、もっと人間の本音の議論に堪えられるようにならないと、バックラッシュが起きるだろう。
 だから、東北の被災当事者の皆さんが怒るのはもっともと思うが、そうでないところの良心的な人々が被災者の気持ちを忖度して怒るのは、ちょっと待てよだ。
 まあ確かに、眉をひそめて、非難の意を示す程度ではもう済まないにしてもね。
 東北大地震では、津波だけの被害と、福島原発の二次災害による被害とは分けて考えなければいけないが、どちらも「自己責任だ」というのは、ある程度事実。
 被災リスク承知の上で経済活動をしていたわけだからね。
 だが、例えば子どもたちみたいに、自己の意志による選択の余地なくそこにいた人々もいるわけで、これも復興大臣の言うべき言葉ではない。
 私は、「自己責任」論は間違っていないと思うし、復興税もすべきではなかったと思う。
 しかし、復興大臣が「自己責任」を言うのは、復興税を課税する根拠を否定するもので、自分の職務を否定することになる。
 これが実は、復興税をやめ、復興大臣職もなくすという深謀遠慮があっての発言なら、ある意味、首尾一貫しているので、それならこれは計算ずくのことだったのかもしれない。
 ま、どう転ぶかわからないが、大臣が本音を言ってクビにされた事件として記憶に残るだろう。
 早速、安倍総理の任命責任を問う動きが野党にあるようだが、どこまで本気か?
 物事は何でも表面的な現象だけにとらわれるのではなく、このことによって、状勢がどのように変化して行くかを見据える意識を持たなければ、ただ刺激に反応しているだけの存在に成り果てる。
 意識の速度より反応の速度の方が絶対的に速いが、どちらがより知的かは人間の場合、言うまでもない。
 ツイッターやブログや新聞のコラムでも、そういうダボハゼみたいな記事で溢れかえっており、大衆とは結局こういうものかと思ってしまう。
 では。

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