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2017年6月24日 / misotukuri

映画「サイレント・ランニング」のエゴ・ロジカル度

 今日OB会があり、その席上で「最近、ボクシング・ネタばっかりだね」とT先輩に言われたので、久々に映画ネタで行こうと思う。
 今朝は、昨夜録画した映画「サイレント・ランニング」(72年、米、ダグラス・トランブル監督、ブルース・ダーン他)を見た。
 昔、同じSFファンクラブのOさんが、「いいな」と言っていたエコロジカルSF映画だ。
 かなり前に、アナログ時代のTV映画番組で一度見たことがあったが、電波受信状況の悪いチャンネルで、ほとんど何のことやらよくわからなかったが、今回はよくわかった。
 古めかしいところもあるが、低予算の割りに、よく出来た傑作だね、これは。
 全地球から植物が姿を消し、地球は完全に人工的に管理されている環境下にある近未来。
 土星の静止軌道上で、地球再緑化計画に基づき、植物を育てている全てのプランテーション・コロニーに、核爆弾で廃棄の上帰還の命令が下された。
 その中の一つのコロニーで、8年間植物を育てることに情熱を注いできた一人の男が命令を拒み、反乱を企てる。
 この映画が発表された時代は、「沈黙の春」などで有名な60年代のレイチェル・カーソンらの環境汚染告発が実を結び、世界的な環境保護ムーブメントを生んだ頃でもあった。
 この映画には、ドローンと呼ばれるロボットが3体出てくるが、これはベトナム戦争で人体のかなりの部分を失った元兵士が中に入って演じていたという。
 その意味では反戦映画なのかも知れないが、そのあたりの関連は、今日ではピンとこない。
 ただ、自然礼賛と人工管理反対は明確で、主人公が人造食糧の食事を採っている仲間に「お前ら、よくそんなものが食ってられるな」と言う所など、21世紀の現在でも大いに説得力のあるシーンだろう。
 ところが、この仲間たちは、栽培したメロンを食べるのもまがい物の人造食糧を食べるのも「同じことだろう」と言ってはばからない。
 ある意味、この監督は人間というものがよくわかっているなと感心した。
 ところで、新しい環境に適応しているこの仲間たちとそれに適応できない主人公とでは、どちらが人間の生き方として正しいのだろう?
 私はよくわからなくなった。
 しかも、地球再緑化計画は中止になったが、その理由はわからないとされている。
 この辺りは、大ピらに「中止なった理由は不明だ」と明言されていることから、逆に色々と空想が膨らむ。
 映画「ソイレント・グリーン」のような、食糧会社の陰謀か、科学技術の進歩で植物なしでも人類が生存できる目処が立ったのか。
 地球上どこでも気温は24度Cで、戦争も病気もなくなっているようだから、唯一、問題は人口の爆発的増加なのだろう。
 自然的な方法ではもはや食糧供給は不可能になっている時代なのだろう。
 そういうことを考えると、主人公が正しいのか、それとも主人公を嘲笑う仲間たちが正しいのか?
 エコロジーが壊れてしまった世界では、人類は自らを人工的に変えて行かざるを得ないのかもしれない。
 この映画、深いよ。考えれば考えるほど。
 では。

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