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2017年8月9日 / misotukuri

映画「大列車作戦」-勝者は人命大事派かそれとも芸術大事派か?

 昨夜、映画「大列車作戦」(64年、米、ジョン・フランケンハイマー監督、バート・ランカスター、ポール・スコフィールド、ジャンヌ・モロー他)を見た。
 何十年ぶりなのでストーリーを完全に忘れていたが、薄っぺらいCG特撮ばやりの今日から見ると、このホンモノを使ったド迫力・重厚感というのは、一眼レフとコンデジの画質の違いのように、やっぱり全然違うね。
 蒸気機関車の何ともたまらないこの重量感、B-25ミッチェルと覚しき双発爆撃機、迷彩を施した装甲機関車の物々しさ、ぞんざいに扱っても爆発しないプラスティック爆弾、そして、爆発より怖い曲射砲弾が飛んでくる音・・・
 今とは貨幣価値の違う時代に、このホンモノを惜しげなく使うという巨費を投じると、これだけスゴイ映画が出来るのだなと思う。
 今日では到底無理だろうし、ジョン・フランケンハイマーほどのスケールの大きい豪腕監督もいなくなった。
 本質的にチマチマとくだらないこと(だって、そうだろう?)をしっとりと情感たっぷりに描いてハイ感動作ですというような軟弱監督やそれに震えるように感動するアホな観客ばかり。
 バート・ランカスターが橋の上を走って逃げるところ脚を銃撃されるシーンがあるが、これも銃撃ではないが実際に怪我をして痛みをこらえながらアクションしたという瓢箪から駒の真に迫った演技もスゴイ。
 オイル菅にコインを挟むとか、鉄道における妨害工作もホントに色々あるもんだね。
 また、ナチスの将校の中にも鉄道に詳しい者がいて、(まあ、当然だが)改めて、鉄道と戦争との関わり合いを思い出させた。
 戦闘で鉄道が使われたのは、南北戦争の頃が最初だと思うが、なかなか有効だったようだ。
 第二次世界大戦では、ソ連がシベリア鉄道を機関車と貨車を往復させず、極東へ送りっぱなしにしたという戦史上有名な話がある。
 これなども「兵は拙速を聞くも、未だ巧久なるを賭(み)ざるなり」を地で行く用兵の基本なのだが、責任者にくだらないことに捕らわれない軍事的センスがなければまずできないこと。
 現代の鉄道の利用法は、ミサイルの運搬、発射に使われるのは、北朝鮮の例でもおわかりと思う。
 鉄道が発達したヨーロッパでは、第二次世界大戦中はフランスのレジスタンスが「鉄路の戦い」を繰り広げたことでも有名だ、
 鉄道の前は、陸運では大量輸送は難しく、海運が使われた。
 これらのことから、伝統的に運輸というのは、国家権力が許認可権を絶対に手放さない分野だということがおわかりになろう。
 そういう理解が政治学の常識なのに、国民のほとんどはそれをわかっていない。
 この映画もフランス政府、鉄道当局の全面的強力があって初めて完成したと言える。
 この映画のネタは、ナチス・ドイツが敗色濃厚となった頃、フランスの沢山ある美術館から総額10億マルク相当の絵画を秘密裏にドイツに運ぼうとした企てを、フランス鉄道のレジスタンスのラビッシュ(バート・ランカスター)などが命を貼って阻止したという話だ。
 史実ではないと思うが、似たようなことは、ナチス・ドイツの支配下にあったところで実際あったわけで、戦争歴史秘話として通用する話だ。
 それはそれで「フォン・ライアン特急」的に鉄道を使った痛快戦争アクション映画にもできたと思うが、やはり、ジョン・フランケンハイマー監督の手にかかると、これが「人命か芸術か」という難しい問題設定を掲げ、考えさせられることになる。
 ルノワール、マネ、ドガ、マチス、ミロ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、ピカソ、ブラック・・・等々の絵は人間の命に換算するとどれくらいに値するか?
 あなたは今までそんなこと考えたことがおありだろうか?
 絵画を知らない人間には愚問に等しいが、知れば知るほど超難問になる。
 その命、例えば、あなたやあなたの愛する人の命だったとしたら?
 この絵画強奪作戦を企てたナチスの将校フランツ・フォン・ワルトハイム大佐(ポール・スコフィールド)は、「10個師団(6万人~20万人)に相当する」とうそぶいた。
 仏レジスタンスは、ド・ゴール大佐(将軍、後の大統領)の「絵画はフランスの誇りであり魂だから絶対に奪還せよ」という命令に、レジスタンス全員、奮い立つ。
 レジスタンスと言っても無教養な庶民ばかりで、そんな絵画など生まれてこの方まだ一度も見たことがないにもかかわらずだ。
 一人醒めているのは、何より人命が大事と考えるラビッシュだけ。
 最後に、ワルトハイム大佐は 事敗れて、それを邪魔したラビッシュと対決するのだが、その時の名台詞が「絵画はそれがわかる者のためにあるのだ」というもの。
 そして、人命大事派のラビッシュは、命令のため絵画を無傷で取り戻したものの失われた100人をはるかに超える人命を思い、無言のまま大佐を射殺する。
 これは「人命」大事派が「芸術」大事派に勝ったというような話ではない。
 大佐を射殺したのは、人命など絵画一枚の価値にも及ばないという事実へのせめてもの抗議のあらわれなのだ。
 ラビッシュのような実務一辺倒で獣にも等しい無教養な人間に、絵画のことなどさっぱりわからないのだが、男というものは、自分の命に替えてでも守らなければならないものがあると信じて行動するものなのだ。
 絵画はフランスの誇りであり、魂であると言われれば、それを見たこともないものであろうと、フランス人である自分一箇の命など少しも惜しくもないという男ならではの精神の高揚が起きて、その人を死への行動に突き動かす。
 だが、絵画は実際のところ誰のものなのだろう?
 確かに「美はそれがわかる者のためにある」のだろうが、少なくともそれはワルトハイム大佐だけのものではないということだ。
 先日、お亡くなりになった大女優ジャンヌ・モローの冥福を祈る。
 では。

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