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2017年3月6日 / misotukuri

小国以載VS岩佐亮祐の予想できない試合の早すぎる予想

今年のボクシング予想で最大の関心事は、正式に決まっているわけではないが、多分、井上尚弥VSローマン・ゴンサレスだろうが、その前に全く予想がつかない試合がある。
それは、これも正式に決まったわけではないが、ほぼ確実な小国以載VS岩佐亮祐の試合だ。
小国は、去年の大晦日、圧倒的不利の予想を覆し、当時のIBFスーパーバンタム級王者、KO率100%のジョナサン・グスマンに快勝して新王者になったばかり。
小国は、小差でも必ず勝つというタイプの努力型の王者で、一度、ボクシングが乱れている時に和氣慎吾にまさかのTKO負けした以外はすべて勝ってきている。
そして、とても敵わないだろうという下馬評の時には必ず相手からダウンを奪い判定で勝っている。
小国のこの勝負強さは、試合までに徹底的に相手を研究するようで、ここを狙えという穴を見つけて、それを突く練習を繰り返すところからくるものだろう。
グスマンに対する左ジャブと右ストレートの先制、そして狙いすました左アッパーのカウンターのボディ打ち。
KO率100%だったグスマンが和氣慎吾相手に見せた強引な攻めが全くできなくなり、貧打の小国にダウンまで奪われ、KO負け寸前に追い込まれ、完敗してしまった。
小国の恵まれた体躯と頭脳的な戦法は、岩佐にとっても大いなる脅威となるだろう。
問題は、岩佐をどれだけ研究してるかだ。
これに対し、岩佐は、誰もが認める天才型の実力者ではあるが、どことなく不運がつきまとう無冠の帝王的ボクサー。
岩佐は、先日V12を達成し今や絶頂期にいる山中慎介がまだ日本チャンピオンだった頃に無敗で挑んだが、10RTKOで敗れ、その後世界に羽ばたく山中を尻目に、長い雌伏の時を過ごした。
そして、ようやく掴んだIBFバンタム級暫定世界王座決定戦で、リー・ハスキンスにまさかの6RTKO負け。
そして、去年はIBF世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦でルイス・ロサ・ジュニアと戦う予定が、ロサの体重超過で試合が流れるという具合に、どうもここぞと言う時にうまく行かない。
しかし、山中に負けた時は、結果こそTKO負けだったが、ほぼ伯仲の試合で、山中の方がスリッピング・アウェーとか防御において一日の長があっただけと思った。
また、ハスキンスに負けた時も何か減量の失敗としか考えられないほど動きが悪く、決してあんなものじゃないと思った。
岩佐の欠点は、フォームのきれいな速球投手みたいで、迫力に欠けていることではないかな?
一発必倒のパンチを持っているのに、それを感じさせない。
だからこそ相手にしてみれば、逆に効くのかもしれないが、実力が拮抗していてペース争いをしなければならない時には、それが不利に働く。
そんな岩佐にとって最後のチャンスが、今回の指名挑戦者の権利を得ての小国以載との世界タイトルマッチだ。
小国以載VS岩佐亮祐は、努力型と天才型の戦いで、予想はホント難しい。
小国が負けるとしたら、研究不足とグスマンに勝ったことからくる慢心だろう。
岩佐が負けるとしたら、バンタム級から上がってきた岩佐と元々スーパーバンタム級で戦っている小国との体格差くらいしか考えられない。
岩佐のパンチがグスマンのパンチに耐えた小国に通用せず、ポイントを奪い合う展開になれば、岩佐には厳しいだろう。
やはり、岩佐の方が不利かな?
試合が正式に決まったら、もっと詳しい分析をしてみたい。

2017年3月2日 / misotukuri

映画「エミリー・ローズ」のエクソシスム度

 昨夜見た映画「エミリー・ローズ」(05年、米、スコット・デリクソン監督、ジェニファー・カーペンター、ローラ・リニー、トム・ウィルキンソン、キャンベル・スコット他)は、ドイツで1976年に現実にあったエクソシスム(悪魔払いの儀式)で女性が死亡した事件の裁判をモデルにした映画だが、実によく出来ている。
 エクソシスムを扱った映画では最高じゃないかな?
 恐いし、科学的だし、感動的だ。
 同じ題材で、この映画と違って、検事側から描いた作品もある。
 TVドラマ「LAW&ORDER」の何回目だったか忘れたが、こちらの方は当然ながら神父に否定的だった。
 この映画の中で、カソリックの信者である検事と不可知論者のやり手女性弁護士が超常現象的事件のファクトについて最終弁論で述べるのが面白い。
 検事のファクトは、「真相」と訳され、弁護士のは「事実」と訳されていた。
 ファクトを真相と訳すのもどうかなとは思ったが、まあ、真実に近い事実ということか。
 検事はカソリックの信者だったが、神父が行ったエクソシスムや神父が悪魔の出現と呼ぶものは、科学的にすべて説明できるとして、超常現象に見える出来事すべてを見事に証明してみせる。
 検事の役割は、起訴し、犯罪を立証することで、弁護士は完膚なきまでにたたきのめされる。
 しかし、不可知論者の弁護士としても、神父の弁護を引き受けて以来、偶然にしては不可解な出来事に悩まされるようになっていた。
 (なお、旧約聖書外典とか、70人訳聖書とか、三位一体への嘲りとか、面白い話がいっぱい出てくるので、このあたりも興味深い。)
 まさに、恐ろしくも悪魔が実在するとしか思えないような合理的には説明のつかない偶然の数々。
 だが、それは決して裁判では使えないことだった。
 そこで、彼女は、いわゆる合理的疑いをもって戦うことになる。
 合理的疑いというのは、神父の過失傷害致死についての検察の立証に対し、他の可能性もあるのではないかという主張をするだけで良いのだ。
 そういう法廷ドラマ以上に、エクソシスムの用意周到なまでの厳密性へのこだわりが、明らかになるにつれ、映画を見ているこちらも、或いは本当だったのかも知れないと思えてくる。
 信仰を失った現代人が、神父とエミリーの互いに信頼し合う信仰者としての絆の強さを見せられた時、ファクトは確かに検事の言うとおりだろうが、それで果たして良いものだろうか?と思えてくる。
 特に、エミリーの手紙で明らかにされる真実は見る者の心を打つ。
 そうか、これが悶絶するほどの苦痛を受け入れる殉教者の心理なのかと。
 殉教者ならずとも、すべからく死を迎えるに当たっての凡人の心構えの参考になろうというもの。
 この映画、これは、決して単なるホラーではない。
 映画ファン必見の作品だな。
 では。
<追伸2017.3.3>
 映画をDVDにダビングしていて、気がついたのだが、弁護士がいいことを言っていた。
 「事実とは疑問をはさむ余地のないものです」
 なるほどね。
 弁護側の「合理的疑い」の主張に検事が反証できなければ、検事の立証したことは、必ずしも「事実」とは言えないものなのだ。

2017年2月26日 / misotukuri

マーロン・タパレスVS大森将平を予想する(結果付き)

4月23日、WBOバンタム級タイトルマッチ、マーロン・タパレスVS大森将平がある。
まだ2ヶ月も先の話だが、それほど状況に変化があるとも思えないので、早めに予想しておこうと思う。
両者、二度目の戦いで、挑戦者決定戦だった前回は、タパレスが2RTKOで下している。
前回も予想して、外したが、大森の試合は圧勝ばかりで、苦戦していないところが気には懸かっていた。
苦戦したことがないというのは、強みであると同時に、競ったらどうかと言う不安も拭えなかったのだ。
案の定、日本選手にはあまりないタパレスの思い切ってかぶせてくる荒々しいパンチに、大森はなすすべもなく何度もダウンさせられ、完敗した。
タパレスなどを見ていると、ボクシングのセオリーは新しい段階に入ったなと思う。
むちゃくちゃに強いパンチを大振りすると言うのではなく、相手の打ち終わりをよく見ながら、かぶせるように思い切って強いパンチを打ち抜くというスタイル。
昔からあったと言えばあったが、この思い切って強く打つというのが、日本のボクサーにはなかなかできない。
最近、三浦隆司がアメリカで、ずるずる負けそうな雰囲気の時に、7Rを境に開き直って、そういう思い切った強いパンチを声を上げて打ち出し、一気にペースを自分に引き寄せたことがあったが、それくらいだ。
大森なんかは、基本的に、右ジャブジャブ、左ストレートという昔ながらの古くさいボクシング。
このクラスでは、173cmという高い身長で、スピードとパンチ力に恵まれれば、あまり小細工する必要もなく、地域チャンピオン・レベルの相手なら、古くさいボクシングで圧勝できたし、これからもできるだろう。
しかし同じ階級でも世界ランカーレベルと対戦したり、より重い上の階級へ行けば行くほど、大森の身体的アドバンテージは消えていく。
だから、今の階級での身体的アドバンテージに頼ることなく、しっかりした防御と耐久力をつけていく必要がある。
前回のタパレス戦は、その大きな教訓になったと思う。
タパレスとでは身長差10cmも大森の方が高いが、大森はそれを生かし切れなかった。
だが、別団体の王者リー・ハスキンスに挑戦する話が直前になって流れ、運が悪いなと思っていたところ、相手がなくて困っていたマーロン・タパレスと今回のタイトルマッチにこぎ着けたという運の強さはあるわけだから、あとはどうやってリベンジするかだろう。
タパレスは、前回、大森に圧勝しているとは言え、同じ手は用心されて通用しないと考えているだろうから、別の手を考えてくるはずだ。
それでも、同じ手を何度か試すだろう。
それに大森がうまく対応できたとしても、接近を躊躇させる効果はあるだろうからだ。
大森は、これにビビると、タパレスのビッグ・パンチをかわすことばかりに神経が行ってしまって、攻めるどころではなくなってしまう。
無敵を誇った長谷川穂積がフェルナンド・モンティエルのビッグ・パンチに3RTKO負けして、ジョニー・ゴンサレスにも3RTKO負けしたように、あるいは同じく無敵を誇った内山高志がジョスリル・コラレスに初戦2RTKO負けして、再戦でも、パンチをかわすことに気を取られるあまりに、強いパンチを打ち込むチャンスを失い、判定負けしたように、圧勝ばかりしてきた者が初めてKO負けしたりすると、そのトラウマはなかなか消えるものではない。
タパレスは大森挑戦者決定戦で勝ったのはフロックかと思われたが、あのタイ国で、プンルアン・ソー・シンユーに5回に二度までダウンを奪われながらも11R逆転KOで王者になったのは、やはり、フロックではなかったと思う。
決して一流の世界チャンピオンではないかも知れないが、パンチ力、精神力、タフネスぶりなど、なかなかのものだ。
しかし、日本でなら、地元の利を生かして、大森にもチャンスはある。
心の底では、油断さえしなければ、負けるような相手ではないと思っているだろう。
実際、われわれ日本のボクシング・ファンのほとんどがそう思っていると思う。
だが、予想屋Jinchanとしては、外すの覚悟で、タパレスの中盤TKO勝ちと予想する。

2017年2月22日 / misotukuri

映画「砂上の法廷」の事実か真実か度

WOWOWの録画で映画「砂上の法廷」(16年、米、コートニー・ハント監督、キアヌ・リーヴス、レニー・ゼルヴィガー、ググ=バサ・ロー、ガブリエル・バッソ他)を見た。
ミステリなので、私があらすじを書くと、真犯人がわかってしまうので、ネタバレはやめて、「事実」か「真実」か、どちらが大事かを考えたい。
映画の前にストーリーのあらすじを知りたいなんて、気持ちはわかるが、私のように「法廷もの」かな?程度にしておけば、作品を堪能出来る。
これは、よく出来た短編ミステリ小説みたいな映画だ。
私がエンターテインメント小説を読む時、念頭に置いているよく出来た短編ミステリの条件というのを4つ挙げると、次のとおり。
1 鮮烈なストーリー
2 完璧なプロット
3 余韻のあるラスト
4 意外な犯人
この映画のシナリオは、この4つの条件を完全に満たしている。
これだけでも、主役が私立探偵なら、結構面白い映画になったと思う。
しかし、この映画の主役は、キアヌ・リーブス演ずるところの敏腕弁護士。
殺人事件で被告人は、警察に「ボクが殺った」と自白した以外は、一切、黙秘を続けていた。
弁護士にさえ何も喋らないので、作戦の立てようもなく、裁判は圧倒的不利な情勢にあった。
アメリカの裁判は、陪審員制なので、有罪か無罪か(Guilty or Not-Guilty?)を陪審員の全員一致の評決で決める。
その後、有罪であれば裁判官が量刑を決める。
ここらが量刑まで裁判員で決める一部裁判員制をとっている日本との違いだが、この映画の場合は、そういう違いは関係ない。
この「被告人が被害者を殺した」という「事実」について、刑事や検屍官は内心は疑わしいと思っているのが、カットバックで回想がはさまれていて、被告の自白に合わせた「調書」や「鑑定書」を作成したものの、それがバレると職を失うので、「証言台」ではシラを切り続ける。
弁護士は、専門家の面目を潰すような追求を最初からはしないのが得策と考え、あえて「合理的疑い」を深くは言い立てない。
弁護士は「被告人が被害者を殺した」という「事実」については争わず、「第三者防衛による殺人」だと主張するつもりだった。
つまり、「被告人は誰かを守るために被害者を殺した」というもの。
だが、これは以前にも負けている手法で、陪審員には理解するのが難しい理論だった。
陪審員は対立し合っている一方に味方したとしか見てくれないのだ。
検事は、弁護士はいろいろ言ったが、「被告人が被害者を殺した」というのは変えようがない「事実」なのだから、「第一級殺人」について「有罪」の評決をいただきたいと最終弁論で言う。
これに対し、弁護士は、「事実」よりも「なぜ殺したか?」という動機である「真実」が問題なのだという。
つまり、「正当防衛」あるいは「緊急避難」の「違法性阻却事由」があるのだから「無罪」評決をと主張する。
ここで重要なのは、「無実」かどうかではなく、「無罪」かどうかを争っているということだ。
弁護士にとっては、被告人が「無実」かどうかはどうでも良くて、「無罪」を勝ち取ることが努めなのだという。
美貌の副弁護士(ググ=バサ・ロー)は、それが倫理的に正しいことかどうか、迷いながらも、逃げることなく、最後まで立ち会う。
さて、評決の行方は?
そして、「真実」は、どうか?
裁判が終わって、はっきりしたのは、他人の「真実」は、はっきりしないということだ。
だが、わたしは、やっぱり「真実」を追求したいのが人間だと思う。
これは、傑作だね。
レニー・ゼルヴィガー、これがあの「ブリジット=ジョーンズ」シリーズのレニー?
すっかり、おばさんになってしまったね。
ググ=バサ・ローは、ハル・ベリーよりシャープな美人で、一瞬、「フリンジ」のアストリッド(ジャシカ・ニコル)の妹かと思った。
この人間的弱味を一杯抱えながらも、嘘を見抜く天才という副弁護士のキャラクターはいいね。
後で考えると、伏線に一役買っている。
ホントよく出来たシナリオだ。
オススメ映画。

2017年2月20日 / misotukuri

山中慎介VSカルロス・カールソンを予想する(結果付き)

3月2日、WBCバンタム級世界タイトルマッチ、山中慎介VSカルロス・カールソン戦がある。
アンダー・カードにブライアン”ハワイアンパンチ”・ビロリアや岩佐亮祐も登場するとかで、こちらの方も楽しみだ。
山中のタイトルマッチは、V12戦で、これに成功すれば、次はいよいよ具志堅用高のV13に王手を掛けることになるが、難敵アンセルモ・モレノとの激闘を制した後だけに、気の緩みが一番の大敵となるだろう。
データ的には勝って当たり前、何の面白みもない試合だが、意外とこういう時に限って、信じられないようなポカをしたり、大苦戦の末引き分けたりすることが多い。
だから、予想も相手の良いところもしっかり見ておいて、対策を練っておいた方がいいだろう。
まずは、データ比較。
山中:年齢34歳、身長171cm、リーチ175cm、サウスポー、28戦26勝(18KO)2分け、KO率64%
カールソン:年齢26歳、身長170cm、オーソドックス、23戦22勝(13KO)1敗、KO率57%
12度も世界戦に勝利し、内8つのKOしている世界チャンピオンと一度も世界ランカーと戦っていない7位の新進気鋭の若いボクサーをデータだけで比較するのは、無意味。
山中自身初の世界戦当時、5年前を考えれば、似たようなもので、カールソンが世界チャンピオンになれる器なら、上位ランカーが忌避して回ってきたこのチャンスを必ずや生かせるだろう。
彼のインタビュー記事など読むと、なかなかインテレクチュアルで、自分のことも山中のこともよくわかっているようで、決して侮れない相手だと思う。
ただ、ボクシングは反射神経で戦うもので、大脳神経で戦うわけではないから、国家間の戦争のようには行かない。
カールソンが勝つとすれば、山中の”神の左”を打たせないようにできた場合だろう。
カールソンは左ジャブに自信を持っているようで、山中の右ジャブとの差し合いをするつもりのようだ。
だが、それは危険だ。
このクラスでは高い身長のアドバンテージは、山中も同じ。
アウト・ボクシングしつつ、左右の強打で、チャンスとみるや、たたみかけるボクシングだが、距離を取って戦うボクシングになれば、アンセルモ・モレノ同様、カールソンはいずれは山中の”神の左”のえじきになる。
それが解っているならば、ジャブの後すぐに飛び込んでフック中心の連打による接近戦を敢行すべきだろう。
カールソンはリボリオ・ソリスの戦い方を良く研究すべきだ。
接近戦から距離を取る時には、絶対山中の左が届かない距離に素早く下がって止まらないことだ。
山中の右ジャブが来た時も同じ。
つまり、攻防分離で戦う。
これをやれば、山中にはストレスの溜まる試合となる。
山中はアンセルモ・モレノ第二戦の勝利は忘れる必要がある。
カールソンがモレノより強いとは思わないが、モレノの失敗を研究しているはずだし、ソリス風の戦い方をしてくると思う。
カールソンが飛び込むのに合わせて、アッパーを多用すると良いだろう。
それでズバリ、予想だが、その前にカールソンの動画を貼り付けておこう。
対Aaron Olivares戦だが、当時6勝2敗のOlivaresはこの後、1勝8敗内5KOという完全な負け犬になってしまった。

初っぱなから、カールソンは攻めに行ったところ、Olivaresの返しの左フックでダウンさせられるが、逆転ストップ勝ち。
まあ、まだ若い(今でも若いが)頃の試合で参考にならないが、自分より背の高い相手はKOできないようだ。
他に動画を見つけられなかったので、どこまで成長しているのかわからないが、こういう馬力一辺倒のファイトスタイルではないと思う。
よくわからないが、一応、山中の後半KO勝ちとしておこう。
心配は、カールソンの成長と、山中の気の緩みだ。
<結果2017.3.2>
7RTKOで山中の勝ち。V12達成。
ゴッドレフトが炸裂し、7Rまで5回のダウンを奪うフルマークだったが、5Rに二回ダウンを奪った後、カールソンの右フックをもらって、危なかった。
カールソンは起き上がりこぼしのように倒されても倒されても立ち上がってきたが、やはり、これが若さかな。
次はV13だが、若くて勢いのある相手は避けた方がいいだろう。
山中の防御が悪いのも知れ渡ってしまったからね。

2017年2月13日 / misotukuri

映画「ヘイトフル・エイト」の悪人なおもて善人度

 去年、157本の映画を見て、一本一本、HTMLタグ(CINEMANOTE2016.html)で記録をつけていたのだが、今年の分を作るのに最初からHTMLタグを書くのが面倒で、2016.htmlをエディターで読み込んで、使い回し出来るところは使い回ししてやろうと標題など2016を2017に変えただけで、1本目から156本目までを削除したんだが、それを保存する時に、名前をつけて保存にせず、2016.htmlに上書き保存してしまった。
 すぐに間違いに気がついて、いろいろなファイル復活技法を試してみたが、時間ばかりかかって、ついに復活させることは出来なかった。
 そのショックが大きく、ちょっともう映画を見る気がしなくなっていたのだが、最近また他にすることもないので、映画でも見ようかとなり、記録も2016.htmlは仕方がないとあきらめ、再開することにした。
 映画「ヘイトフル・エイト」(15年、米、クエンティン・タランティーノ監督、サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセル、ジェニファー・ジェイソン・リー、ウォルトン・ゴギンズ他)は、今年6本目。
 この映画、西部劇であるのは知っていたが、ミステリものとは全然知らなかったので、途中で、それならもっと注意深く見てりゃ良かったと後悔することしきり。
 ストーリーは、黒人の賞金稼ぎの元北軍騎兵隊少佐マーキス・ウォーレン(サミュエル・L・ジャクソン)の目を通して、ほとんどが語られる。
 折からの雪嵐で老馬が死に、賞金首の3死体を抱え、立ち往生していたところ、通りかかった駅馬車のチャーター借り主は、賞金首を決して殺さず生きたまま引き渡すことから”首吊り人”という異名をとる同業者ジョン・ルース(カート・ラッセル)だった。
 ルースは1万ドルの賞金首のかかった女、デイジー・ドメルグを護送中だった。
 マーキスは、一度の面識と同業者のよしみでタダで乗せてもらう代わりに、互いの賞金首には手を出さないこと、女の仲間が女を奪還しに来るかもしれないからオレの賞金首を守れという協定を持ちかけられ、否応なくそれを受け入れる。
 観客は、緊張緩和のリンカーンの手紙のエピソードが一転新たな緊張の始まりとなる展開の妙を味わいつつ、次のうさんくさい人物が登場するのを見ることになる。
 それは、サウスカロライナ州の疫病神と謳われた、南軍の「マニックス略奪団」を率いたアースキンの末っ子クリス・マニックスという若造で、何と目的地のレッドロックの新任保安官だと言う。
 彼はこれから赴任するところで、お前らに賞金を渡すのはオレだし、オレをここで見殺しにすれば、保安官殺しの殺人罪に問われることになる、オレが来るのを知っているだろと御者に確認を求め、ルースを脅す。
 馬車に乗せてもらったクリスは、マーキスが北軍時代にしでかした軍人らしからぬ卑怯且つ悪逆な悪事をいやらしい口調で暴露するのだった。
 こうして、うさんくさい4人が、雪嵐の中、レッドロックへの途中の街道筋にある「ミニーの紳士服飾店」という食事、休憩、売春まで幅広く提供してくれる荒野の一軒家にようやくたどり着く。
 土地勘のあるのはマーキスのみで、そこは顔見知りの店だった。
 外には馬を外した先客を運んだ駅馬車が止めてあり、メキシカンが飛びだしてきて、ミニーの留守中店を預かっていると言ったあたりから、マーキスは何か異変を感じ、馬たちを馬小屋に入れながら、根掘り葉掘りミニーらのことを訊くが、要領を得ない。
 先客達は3人いて、デイジー・ドメルグの仲間を警戒するルースは一人ずつ、お前はどこの誰兵衛で、レッドロックへ何しに行くのかと訊いて回る。
 馴れ馴れしく気取ったイギリス訛りで近づいてきたオズワルド・モブレーと名乗る紳士は、何とレッドロックへ保安官殺しの犯人を処刑しに行く、巡回死刑執行人だという。
 暖炉の側の椅子に座っていた老人は、元南軍のサンディ・スミザーズ将軍で、息子の墓参りに行くのだという。
 耄碌してみる影もないが、バトンルージュの戦いで多くの黒人兵を虐殺した張本人で、そのことはクリスもマーキスもよく知っていた。
 次は、ジョー・ゲージといういかにも悪漢顔の男。
 机に向かって手帖に黙々と自伝を書いているとかいうカウボーイで、クリスマスを祝うため、母親の元へ帰る途中だという。
 先の駅馬車の御者がいないがと聞くとボブは別棟でジェマとお楽しみだという。
 こうして、金さえ出せば人種差別などしない、まず絶対悪人でないと言える御者のO・B・ジャクソンを含めて9人が、雪嵐の一夜を共に明かすことになるのだが、まもなく・・・
 8人のうさんくさい人物の紹介で手間取ったが、この映画の特徴は、セリフによる人物造形の巧みさだ。
 これは、舞台劇にしても絶対に成功するミステリだね。 
 矛盾と言えるようなものは見つけられなかったが、一つだけ、気になったのは、メキシカンが「きよしこの夜」をピアノで弾いたことだ。
 南北戦争(1861~1865年)後の1870年頃の恐らく40歳近いメキシコ人が西部の荒野の売春宿屋で下手くそながらピアノで頭の中にある「きよしこの夜」のメロディを弾けただろうか?
 「きよしこの夜」の全世界への伝播の歴史については、こういうのがある。
 http://www.afpbb.com/articles/-/2552285
 これによると、1854年頃にはプロテスタントでも歌われるようになっていたというし、ニューヨークでの初演が1839年で、メキシコやアメリカ西部でも大流行した可能性はあるが、このメキシコ人の年齢的には微妙なところだろう。
 クリスマスに似つかわしくない場の雰囲気に風刺を込めて下手くそな聖歌を演奏したのか?
 それともクリスマスに死ねば地獄に行かないという伝説を思い起こさせる葬送曲のつもりか?
 ここらもわからないながら、面白かった。

2017年2月10日 / misotukuri

「ありふれた祈り」は10年に一度の奇跡作か?

 「ありふれた祈り」(ウィリアム・ケント・クルーガー著)読了した。
 これは10年に一度の傑作を超えた奇跡みたいな作品だ。
 2014年度アメリカ探偵小説作家クラブ賞長編賞(エドガー賞)受賞作だが、前年度の2013年度同賞受賞作「夜に生きる」(デニス・ルヘイン著)も、これまでの受賞作の中では最高の出来かと思ったが、これは更に素晴らしい。
 殺人事件の謎自体は、ひねた読者でなくともすぐにハハンと見当がつくが、これは14歳の少年の目を通して1961年の出来事として語っているので、読者も同じ年代の同じ年頃の子供になって読まなければならない。
 ミネソタのまだ少し行けば未開地が残る田舎町の牧師一家を襲った悲劇が悠久の大地の中で展開する。
 まあ、ローラ・インガルスの「大草原の小さな家」の風景を想像してもらえばいい。
 虐殺の記憶がまだ残っているインディアン・スー族の原住民とドイツ系の移住者が混住する町で相次いで起きた変死事件で、まず疑われたのは前科者のインディアンだったが、思わぬ事実が発覚して容疑者は二転三転を繰り返す。
 ストーリーには関係ない話だが、キリスト教にもお通夜ってのがあるんだね。
 初めて知ったよ。
 登場する人物がどれもこれも田舎らしく、おバカだったり、下劣だったり、偏見に凝り固まってたりはするが、どちらかというと根は悪くない人間ばかりというのも、逆にリアリティがある。
 では、いったい誰が殺ったんだろう?それとも、事故なのか?だが、明らかに殺された死体もある。
 この小説は、謎解きと言うよりも、少年の頃のつらくも懐かしい思い出話として読むべきだと思う。
 また、「ありふれた祈り(Ordinary Grace)」ってどういうことだろうかと思いながら読んでいたのだが、最後の方でそれが出てくる。
 そして、その直後に懐疑論者の主人公としても奇跡としか言いようのないものを見ることになる。
 その後、お話が終わりに向かって、急速に収束していく中で、次々にわかってくる驚愕の(もちろん、14歳の少年にとっては)真相のたたみかけは素晴らしい。
 そして、40年後のエピローグ。
 同じものを見、同じことを体験したはずなのに、それぞれの記憶が食い違っていることに気づく。
 ラストの言葉は胸に沁む。
 スゴイ作家もいるもんだね。
 では。