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2017年12月13日 / misotukuri

映画「シャドウ・チェイサー」のロシアン・ホラー度

 昨夜、映画「シャドウ・チェイサー」(16年、露、オレグ・アサドゥリン監督、パーベル・チナリョフ、サヴェトラーナ・ウスティノーヴァ他)を見た。
 ロシアン・ホラーだが、ソ連時代とは打って変わって、エンタメ度の高いものに仕上がっている。
 夫の浮気が原因で崩壊寸前の夫婦関係を何とか修復しようと二人だけの旅行に行こうとしている夫婦。
 買ったばかりの中古車で、幼い一人娘を夫の母親の家に預けるために向かっていたのだが、実はこの車、嫉妬深い夫が妻を殺してバラバラに刻んで運んだといういわく付きの車。
 走るにつれて、異常な事件が頻発し、こじれた夫婦仲はなぜか次第に・・・というお話。
 夜のシーンがほとんどで、何故か、「ツインピークス」のローラ・パーマーのお父さん役で一躍有名になったレイ・ワイズ主演のホラー映画「-Lesse [レス]」を思い出した。
 これも真っ暗闇の真夜中を一家を乗せた車で起きる怪奇現象の話。
 だから、「シャドウ・チェイサー」も最初はどうせハリウッド流エンタメ・ホラーだから、こういう話かと思っていた。
 ネタバレなので詳しく書けないが、ガソリン・スタンドのドラッグストアで夫が美人の店員とイチャイチャ駄弁ってるのに業を煮やした妻が嫌みを言いに車を出て、帰ってきたら娘の姿が見えなくなっていたというシーンで、てっきり、と思ったのだ。
 「-Lesse [レス]」もストーリー自体の衝撃度が強くて良かったが、「シャドウ・チェイサー」の方が狂気に陥っていく人間が描かれていて、私はこちらの方がより好みだな。
 ホラーというのは、主人公が不安定な精神の持ち主でなければ、単なる見世物のお化け屋敷の話みたいで、まるで怖くない。
 シャーリイ・ジャクスンの「山荘奇談」の主人公の寄る辺のない孤独(それはまさにシャーリイ・ジャクスン本人そのものの身の上に思えるのだが)を理解しないホラーは見世物(ショー)でしかない。
 見世物でも、「ロッキー・ホラー・ショー」のようなパロディの傑作もある。
 ただし、怖くない。
 それはそれでいいのだが。
 では。

2017年12月9日 / misotukuri

尾川堅一VSテビン・ファーマーを予想する(結果付き)

明日に迫ったIBFスーパー・フェザー級世界王座決定戦、尾川堅一(4位)VSテビン・ファーマー(Tevin Farmer 5位)だが、遅まきながら予想してみよう。
まずは両者のデータ比較から。
尾川:29才、右、身長173cm、リーチ不明、23戦22勝(17KO)1敗(1KO)、KO率74%
ファ:27才、左、身長168cm、リーチ170cm、30戦25勝(5KO)4敗(2KO)1分け、KO率17%
これだけ見ると、問題なく尾川が勝ちそうだが、さてどうか。
試合会場は、アメリカのラスベガスはマンダレイホテル&カジノセンター・イベント・ホールという超一流の場で、地の利は尾川にはない。
次は、両者のファイトスタイルだが、尾川がオーソドックスでファーマーがサウスポーで、共にボクサー・ファイターだが、尾川がストレート中心に直線的に前に出るスタイルに対し、ファーマーは基本的には下がりながら左フックを強振するスタイル。
尾川はアグレッシブなのは良いが、攻めが単調なので的中率が悪いが、当たればKOできるパンチ力はある。
ファーマーは、出てこない相手には積極的にコンビネーションで攻めるが、少し攻められると、下がりながら打つスタイルに変わる。
ファーマーが積極的に出てくる時は、まるでパンチ力のないギジェルモ・リゴンドウ(現WBAスーパーバンタム級スーパー王者)みたいで、再三クリーン・ヒットしても相手は倒れない。
よく見ると、ギジェルモ・リゴンドウと違い、テレフォン・パンチで、左フックや左ストレートが来る時は予測できるので、当てられてもそれ程こたえないのだろう。
尾川は、良くも悪くも直線的に攻めるしかないと思う。
あれこれ考えてファーマーを見ていると、ファーマーの多彩なコンビネーションでいいようにあしらわれるだろう。
両者の動画を見ると、尾川がファーマーにパンチを打ち込めるとはなかなか思えないのだが、KOするつもりで行けば可能性はある。
さあ、どうか?
ズバリ、テビン・ファーマーの大差の判定勝ちだろう。
尾川VSファーマーより、その前にニューヨークで行われるWBO世界スーパーフェザー級タイトルマッチ、ワシル・ロマチェンコ VS ギレルモ・リゴンドーの方に興味があるが、どっちが勝っても後がうるさいだろうね。
私としては、さすがにリゴンドーも体重の壁に泣くと思うが、普通の負け方はしないだろうという予感がする。
明日が楽しみだ。
<追伸2017.12.11 試合結果>
WOWOWオンデマンドの調子が悪く、今日まで試合を見れなかった。
結果はご存知のとおり尾川の2-1(116-112、115-113、112-116)の判定勝ち。
アメリカでのタイトル獲得は、これで5人目。
ただし、なかなか微妙な採点だったようだ。
私の採点は、114-114で引き分け。
尾川寄りの採点でこれだから、逆の結果もあり得た。
とは言え、敵地での判定で勝ったのだから、人気者のファーマーとしても裏切られた感がしただろう。
ロマチェンコVSリゴンドーは、動画でフルに見たが、7R終了リゴンドーの棄権によるロマチェンコの勝ち。
共にクリーンヒットはほとんどないというか、共に相手のパンチを喰わない試合だったが、ロマチェンコの方がスピードがだいぶ上回っていて、リゴンドーにはフラストレーションの溜まる試合運びだったのではないかな。
2Rに拳を痛めたためと言うが、これ以上続けても、疲れて、次第にロマチェンコのパンチをもらうようになり、身体の2階級大きいロマチェンコに仕留められるのも時間の問題だったろう。
ロマチェンコは、ほとんどリゴンドーの外側になる左へ左へと回っていたね。
リゴンドーのように半身に構えるサウスポーには、当てにくいポジションだった。

2017年11月20日 / misotukuri

映画「リメインダー / 失われし記憶の断片」の迷宮度

 昨日は、久しぶりに私好みの映画を見た。
 映画「リメインダー/失われし記憶の断片」(16年、英・独、オマー・ファスト監督、トム・スターリッジ、クシュ・ジャンボ他)だ。
 不慮の事故に遭って、その時より前の記憶がなくなってしまった男が、その事故で得た巨額の賠償金で断片的に残っている記憶を現実に再現する試みをしていく中で記憶のスパイラルに落ち込んで行くという話。
 これは極端な例だが、自分の記憶に自信が持てなくなった時など、われわれの日常でもありそうな話だ。
 人間の記憶というのは、記銘し、保持されたものを想起する度に書き換え更新されるという。
 つまり、オリジナルな体験の記憶は、思い出す度に、創られるというか、改変されていく性質を持っているということだ。
 認知症で自己愛性人格障害者の言動を間近に見ていると、記憶が自分に都合良く改変されていく様が手に取るようにわかる。
 想い出を話す度に話が少しずつ変わって行くのだが、どのように変わるかと言うと、話がより都合良く整理されてドラマチックになって行くのだ。
 自分の身に起きた現実の出来事というのは、誰しもちょっと考えればわかることだが、自分でも意識していない余計なものが一杯あって、なかなかTVドラマのようには整理されていない。
 この映画のように、ほとんど記憶を失った者が、断片的な記憶(事実と思っているもの)を合理的に説明がつくように再構成するというのは、失われたアイデンティティの回復には必要だろうが、記憶の点と点がつながって一本の線になった記憶が事実そうだったという保証はまったくないのだ。
 そういう作業は、ある意味、非常に危険なことでもある。
 自分の過去をよく知っている人物がいて、それは事実だとか事実じゃないとか言ってくれても、それは何の保証にもならない。
 だいたい、その人もまた認知症だったら、アカンだろうが。
 警察がするような厳密な事実調査をしなければ、その記憶の妥当性は測れないのだ。
 だが、われわれの個人的な生活で、いちいちそういう取り調べみたいな記憶の検証ができるかと言えば、できるわけない。
 記憶に問題がないわれわれ(?)でも、例えば、「最近、良かったと思える出来事をお話し下さい」と言われて、いざ話し出すと、実際あった出来事をいささか脚色して、相手に感銘を与えようとしている自分に気づくだろう。
 そして、その話がウケるとわかると、何度も誰彼となく話するようになり、しかも、話す度に少しずつ内容が変わってきて、自分でも実際どうだったのかはっきりしなくなる。
 一事が万事そういうわけで、われわれは、この世界で、実に曖昧に生きているのだと思う。
 記憶については、この映画の主人公とさほど変わらないということに呆然とする。
 となると、人間、忘れてしまった過去をわざわざ掘り返すことはないのかもしれない。
 そんなことを考えていたせいか、今日の明け方に変な夢を見た。
 映像を伴わないので、目覚める前に思っただけかもしれないが、いつの間にこんなにも人生が過ぎてしまったのかという思いと共に自分の人生を年代ごとに回想しているのだ。
 すると記憶に空白な時期があって、よく考えると、かみさんには叱られるかもしれないが、何かはしていたんだろうが、無為に過ごしたというか、仕事でもプライベートでも特筆すべきことは何にもしていないのだな。
 ただ判で押したようにルーチンで幸せな日々が続いていたのだろう。
 まあ、そう考えると、それに比べれば、解決困難な悩み事をいくつか抱えた今の方が、まだしもマシなのかもしれない。
 しかし、それも、認知症になれば、消えていく。
 それが救いになると自分でも思えればいいのだが、そうは思えず、当てにならない記憶にすがってあがき回る人間もいるだろうなと思う。
 昔見たTVルポ番組で、ゴミ屋敷然としたアパートの一室に住む孤独な独居老人が「ボクぁ、漠然と生きている」とつぶやいたのを思い出した。
 自分自身のことを「漠然と生きている」と言えるだけの知的な人だったのだろうが、記憶と共に意欲も失われていたようだ。
 記憶は信頼が置けないからそれほど未練はないが、人間、意欲だけは失いたくないものだ。
 では。

2017年11月8日 / misotukuri

映画「フェンス」のうまくいかないものさ人生なんて度

 今夜は、映画「フェンス」(16年、米、デンゼル・ワシントン監督、デンゼル・ワシントン、ヴィオラ・デイヴィス、スティーヴン・ヘンダーソン、ジョヴァン・アデボ、ラッセル・ホーンズビー、ミケルティ・ウィルソン、サナイヤ・シドニー)を見た。
 全員、黒人俳優、女優だが、だいたい知っていた。
 特に、デンゼル・ワシントンは別格として、ヴィオラ・デイヴィス、スティーヴン・ヘンダーソン、ラッセル・ホーンズビーなど何となくどこかで見た顔と思ったら、「LOW & ORDER」、「グリム」など主にTVドラマで見かけていたのだった。
 圧倒的にセリフが多く、映画的にはあまり面白みはないなと思いながら、見ていたのだが、グイグイ引き込まれていった。
 絶対、これは舞台劇だなと思って、Wikipediaを見ると、やはり、原作は戯曲(オーガスト・ウィルソン、1983年)だった。
 社会派と言うのか、重たい内容なのだが、時にはこういう映画も見てみたい。
 自分の人生に強く不満を感じながらも、何とか懸命に生きてきて、つましいながらも満足すべき暮らしができるようになり、その結果、生き方について凝り固まった考え方を家族に押しつける一方、人生も終わりが来て、取り返しの付かない失敗もし、困り果ててながらも、生き方を変えようとはしないのだが、その結果・・・という、まあ、ホントに黒人であるなしに、これが現実の人生かなとも思う。
 ハッピー・エンドの人生なんて、ホント、希有なものじゃないかな?
 そうはならないものさ、人生なんて。
 この頃、つくづくそう思う。
 それ以外にも思うのは、人生観というか価値観だな、だんだん、自分が絶対正しいと思ってしまうのが怖いね。
 この主人公もそうだが、自分の時代の限界を超えることは難しい。
 次世代に希望を託すことの重要性に気づかせてくれる映画だと思う。
 では。

2017年10月24日 / misotukuri

映画「ハドソン川の奇跡」と「ミモザの島に消えた母」のキセキ度

 先ほど映画「ハドソン川の奇跡」(15年、米、クリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス、アーロン・エッカート他)を見た。
 評判になった映画だからご覧になった方も多いと思うが、このサリーというパイロットとジェフという副パイロットは、航空機のパイロットとしてのライト・スタッフ(正しい資質)を持っているね。
 彼らは、絶体絶命のプレッシャーの中で、最後の最後まで冷静に努力できるという希有な精神力の持ち主だ。
 NYラガーディア空港を飛び立ったエアバスA320旅客機の双発のターボファン・ジェット・エンジンをバードストライクが襲う。
 高度2800フィート。低すぎて、回避行動が出来ない。
 とっさの判断で、冬のハドソン川に着水することを決断する。
 そして、見事、着水、奇跡的に通りかかった遊覧船などに救助され、全員生還した。
 サリーは、一躍、国民的英雄となって、祭り上げられたが、その一方、厳しい査問会が待っていた。
 着水のショックで失われた左側のエンジンはコンピュータの記録では損傷しておらず、旋回回避して、ラガーディア空港や近隣の空港に緊急着陸することも可能だったことが航空機製造会社側のシミュレーションで判明したのだ。
 一転、彼は英雄なんかじゃなくて、むしろ、大勢のお客の人命を危うくさせた張本人として、追及を受ける。
 だが、公聴会で、事故再現シミュレーションではわからなかった、航空機事故というものの回避困難性が明らかになる。
 両方のエンジン停止と管制官からの緊急着陸できる空港の案内があるまでの35秒間。
 私はボイスレコーダーの音声を聞きながら、思わず、秒を数えたよ。
 映画の中も確かに35秒間だった。
 このリアリティはスゴイね。
 やはり、映画における航空事故ものの演出というのは、ここまでやらなければ薄っぺらくなるのだなと思った次第。
 クリント・イーストウッドもすっかり巨匠になっちゃったね。

 一昨日は、「ミモザの島に消えた母」(15年、仏、フランソワ・ファブラ監督、>ローラン・ラフィット、メラニー・ロラン他)を見た。
 これは30年前の母の死に囚われ続けてきた男が離婚を機に妹と昔の家を訪ねて、その謎の解明に当たるというミステリ。
 いわゆる、母もの。
 この手の映画では、若くして死んだ母というのは、薄倖で美しくなければいけないと決まっているのだが、その美人薄命のセオリーはフランスでも同じだったようだ。
 ただ、現実は、えてしてその逆が多いだろう。
 まあ、これはちょっとメンタリティが古めかしいが、良く出来ていると思ったね。
 ただ、30年前の新聞を地元の図書館ででも当たれば、多分、何故彼女がそういう行動を取ったのかは不明としても、ある程度の行動の軌跡(キセキ)はわかったと思う。
 そのあたりは、原作ではきちんと描かれているのかもしれないが、映画表現上の都合で、冗長になるとかいうのでカットされたのかも。
 まあ、そこまでケチをつける人はいないだろうから、良しとしよう。
 兄が新しい恋人を子供たちや妹に紹介した後、妹が多感な思春期の美しい姪(兄の娘)と語り合う中で、姪が「あたしはポーリーヌが好き」と言うのを聞いて、妹の忘れていた記憶が瞬間甦ってくるあたりから、もどかしかったドラマ展開は急転直下、一気に結末へと転がり落ちていく。
 そして、それは一つの死で終わる。
 まあ、そういうドラマツルギーよりも、舞台となったフランスのÎle de Noirmoutier(ノエールムーティエ島)の風俗のことで、エマニュエル・トッドのフランスの家族構造の分析を思い出した。
 興味のある方は、両方調べられたい。
 この映画の演出は、時代や地域によって正義感覚は違ってくるということを理解しない一方的なもので、イデオロギッシュ。
 こういう結末は、間違っているという価値観の人たちは、おそらくかなりいると思う。
 私がこの兄であれば、母の死の謎がわかっただけで、それで十分良いと思う。
 このカタルシスは自己満足以外の何ものでもない。
 このあたりが、ポスト・ポストモダン的でなく、ちょっと古めかしいかな?と思えるところだ。
 今年見た映画もあと1本でようやく80本になる。目標の120本はたぶん無理だな。
 では。

2017年10月19日 / misotukuri

村田・比嘉・拳四朗トリプル世界戦の予感(結果付き)

10/22(日)にボクシング・トリプル世界戦がある。
1 WBA世界ミドル級タイトルマッチ アッサン・エンダム VS 村田諒太
2 WBC世界フライ級タイトルマッチ 比嘉大吾 VS トマ・マソン
3 WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ 拳四朗 VS ペドロ・ゲバラ
例によって、予想と行きたいが、この夏から私生活面でいろいろあって、それどころじゃないので、根拠のあまりない予感程度のことしか出来そうもない。
この三試合に出るボクサーの中でよく知らないのは、2のトマ・マソンくらいで、後は日本のボクシング・ファンなら全員お馴染みのボクサー。
私はこのトリプル世界戦、日本勢全敗もあり得ると思う。

まずは、1のアッサン・エンダム VS 村田諒太だが、前回の試合は私も村田が勝っていたと思う。
しかし、先日のゲンナジー・ゴロフキンVSサウル・アルバレスの試合の判定を見ても、あれで平然とアルバレスの勝ちとしたジャッジが現にいるのだ。
しかも、どこがおかしいんだ?と言わんばかりの態度。
アルバレスとエンダムとは似たようなものだ。
どちらも、手数が多く、クリーンヒットも多いが、ダメージを与えたかという観点からすれば、有効打と言えるかどうか疑問がある。
しかし、どちらのパンチがダメージを相手により多く与えたかと言うのは、そもそも客観的に判定出来るものだろうか?
ボクシングは、野球のコールドゲームとは違うにしても、判定勝負となれば、累積ポイントの差であり、その際は判定基準の共通化が問題となる。
村田は、ダウンを奪ってもKO出来なければまた前回の判定同様のこともあり得ると思って無理をするし、エンダムは、今度こそ村田のパンチをもらわないように判定に持ち込もうとするだろう。
これは、村田のKO勝ちか、エンダムの大差の判定勝ちか、村田の大差の判定勝ちか、エンダムのKO勝ちか、ようするに、どちらか極端な決着になる公算が高い。
アンドレ・ウォードVSセルゲイ・コバレフの第二戦みたいに。
第一戦は、私はダウンを奪って追いまくったコバレフの勝ちと思ったが、村田同様まさかの判定負けで、第二戦は相手を研究し尽くしたウォードの完勝で8RTKO勝ち。
私は、村田もコバレフと同じような結果になるのではないかと危惧している。
村田は冷静に戦うことだと思う。

次に3の拳四朗 VS ペドロ・ゲバラだが、これは拳四朗がどうこうより、ペドロ・ゲバラのウェイト調整がうまく行くかどうかだろう。
そもそも、このタイトルは、井上尚弥(返上)→八重樫東VSペドロ・ゲバラ(決定戦ゲバラKO勝ち、2度防衛)→木村悠→ガニガン・ロペス→拳四朗(現)と動いてきたもの。
しかも、ペドロ・ゲバラは、タイトル獲得前と防衛戦で2度、ガニガン・ロペスと戦い、はっきりと判定で勝っている。
拳四朗とペドロ・ゲバラ共に、ガニガン・ロペスに勝っている者同士だが、拳四朗のボクシングにうまさを感じても力強さを感じたことがないが、ペドロ・ゲバラにはその両方がある。
ゲバラが木村戦で見せたような途中失速がない限り、拳四朗を圧倒するように思える。
拳四朗については、ベビー・フェイスのせいか、いつも過小評価していて、アレレレー、ホント?!という結果に終わるのだが、今回だけはそれはないような気がする。

最後に、2の比嘉大吾 VS トマ・マソンだが、これは全然わからない。
トマ・マソンは、身長が比嘉より10cm以上高く、ディフェンシブなボクシングをするタイプとしか知らない。
これはまあ、比嘉が具志堅会長の言いつけどおり、試合前に女性と手をつないだりしない限り、大丈夫のようにも思えるが、それは冗談としても、トマ・マソンが13戦全勝全KOの比嘉のパンチを警戒してトマ・マラソンになったりしたら、なかなか捕まえるのは難しいかも。
比嘉のボクシングの実力というか、幅が試される初防衛戦となった。
まあ、期待して見ていましょう。
<追伸 試合結果 速報1 2017.10.22>
3 WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ 拳四朗 VS ペドロ・ゲバラ
拳四朗の2-0判定勝ち。初防衛に成功した。
まだ試合は見ていないが、このあたりが拳四朗の勝負強いところかな。
2 WBC世界フライ級タイトルマッチ 比嘉大吾 VS トマ・マソン
比嘉大吾の7RTKO勝ち。初防衛に成功すると共に、14戦全勝全KOとなった。
トマ・マソン、策がなかったね。
ほぼ、フルマークで、崩しにくい相手を一蹴した。
次のターゲットは、井岡一翔ですか。面白いな。
1 WBA世界ミドル級タイトルマッチ アッサン・エンダム VS 村田諒太
村田の7R終了TKO勝ち。悲願の世界王者に。
エンダムとは、これで完全決着したね。
1,2R以外、すべてフルマーク。
パンチの威力が違ったね。おめでとう。
おや、オレの予感はすべて外れたよ。

 

2017年10月14日 / misotukuri

「ほんとうの憲法」のパラダイム転換的見方に耐えられるか?

 「ほんとうの憲法-戦後日本憲法学批判」(篠田英朗著)読了した。
 これにはホントショックを受けた。
 私自身、大学で法律学を学び、中でも憲法は最初に習ったことで、自分自身でも色々考えたつもりだった。
 仕事の関連で若手職員などに何十回も研修してきた。
 最初に教えるのは、いつも私自身が憲法学で最初に習ったことだった。
 それがこの本でを読んでガラガラと音を立てて崩れていく。
 考えてみれば、半世紀も前のことだ。
 この本は、国際法、英米法から日本国憲法を読み解くとこれまで見知った姿とは全然違った姿が見えてくるということを書いている。
 当時の私は、英米法や国際法は気には懸かっていたが、英文のマッカーサー憲法草案への反発と、判例主義の英米法はパンデクテン法体系の日本法とは別種のものという認識でパス。
 国際法は、憲法より締結批准された条約の方が上位にあるという程度の認識で、何となく勉強する気になれなかった。
 だいたい、冷戦時代ただ中の国際法というのは、まだ未成熟な法体系で、しかも、それを各国に強制する裏付けとなる暴力を欠いたものだという認識があったからだ。
 だが、そういう考え方自体が、刷り込まれたものだったのだなと、今回初めて思い知った。
 この本で指摘されたことは、自分自身翻って考えてみると、まったく欠落していた視点というわけではない。
 それでも、かなりの部分が当時そして今の主流派の憲法学者の学説であったことを認めざるを得ない。
 私自身は、社会人として成長すると共に変遷してきた自己の憲法解釈を、学生時代に習ってきた学説と矛盾させずに理屈づけてきたつもりだった。
 私のそれは視点の移動というべきもので、もっと歴史的に国家や民主主義の本質を見ようという矛盾解決の仕方だった。
 だが、この本の見方は、正しくパラダイム転換的で、自分自身の人生のかなりの部分を否定されたような気がする一方、なるほどそのとおりだなと肯ける話ばかりなのだ。
 正直、トホホだよ。
 この歳になって、もう一度、この本のことを踏まえて、憲法を勉強し直さなければならないとは。
 私自身、今日、安保法制や集団的自衛権、そして自衛隊などについて、現実主義的な観点から、憲法第9条の改正は必要と思って来たが、この本を読んで、こういう見方が「ほんとう」なら、労多くして無益な改正をする必要性はあまりないという方向に考え方が変わった。
 安倍総理が、新安保法制で集団的自衛権の一部を容認させたことにより、「実は、もう憲法改正など必要ないんですよ」と田原総一朗に語ったという話の真意もこれで理解できた。
 また、昔、ブッシュJr政権のイラク戦争の頃だったか、親米派の故岡崎久彦が、どこかのTVのトーク番組で、司会のアナウンサーに答えて、「今の憲法でも集団的自衛権は認められているんですよ」と言っていたのを思い出した。
 そうか、宮澤俊義以降の大多数の憲法学者の憲法解釈自体が間違っていたのか。
 芦部信喜など宮澤俊義のネタをベタに信じてただけなのか。
 宮澤俊義に八月革命説を入れ知恵した丸山眞男もなかなかのワルだな。
 私も、日本国憲法制定の根拠は、それしかないと思ってたよ。
 それが丸山眞男がひねり出したアイデアだとは知らなかったが。
 なるほどねえ。
 こうなると、高柳賢三の言説をもっとまともに評価すべきだったな。
 公明党の「加憲論」は、結果的には、正しかったのか。
 しかし、これは、多くの日本人にとって、耐えられないパラダイム転換かも。
 通説の天動説を信じて何十年も生きてきた人間が、地動説への転向をそう簡単にできたとは思えないだろうからだ。
 日本人も、国体をめぐる顕教と密教の二重構造をそろそろやめる頃だと思うな。
 では。