IBF世界S・ミドル級タイトルマッチ、王者ルシアン・ブュテVS挑戦者カール・フロッチの一戦は、意外にも5RTKOでフロッチが勝利し、新王者となった。
ブュテは初めての敗北だったが、こんなにも一方的な試合になるとは誰が予想しただろうか?
だが、後から冷静に考えてみれば、こういう結果もあり得たと思う。
ひとことで言えば、カール・フロッチの体格を生かした正統的パワー・ボクシングには、ルシアン・ブュテの変則的パワー・ボクシングはまるで歯が立たなかった。
両者の体格は画像で見る限りほぼ互角だが、なで肩のブュテに比しフロッチはがっちりしているだけ大きく見えた。
背はブュテが188cmでフロッチが185cm、リーチはブュテが178cmで、フロッチが189cm。
ブュテが右腕をだらりと大きく下げて頭の位置を絶えず動かすサウスポースタイルなのに対してフロッチはガンガン攻め立てるオーソドックス。
フロッチの防御は、特に意識的に守っているようには見えなかったが、背が高く、距離が遠いのが自然な防御となっている。
ブュテのパンチがこれほど届かないのも初めて見た。
逆にフロッチのパンチは左も右も面白いように当たり、ブュテの半泣き顔が本当の泣き顔みたいになった。
ブュテは、あまりに打たれるので、とうとう右手までガードするようになったが、これではブュテの戦闘力は半減する。
おまけに普段したことない防御だから、いくら腕を上に上げていても、フロッチは難なくそのガードを突き破っていた。
フロッチが上手というのでなくブュテの防御が下手なのだ。
変則が正統に負ける時というのは、こんなものかもしれないな。
ナジーム・ハメド(変則型サウスポー)がマルコ・アントニオ・バレラ(オーソドックス)に負けた試合を思い出した。
ブュテもハメドも身長の割にはリーチがないので、それを上体の動きや、ノー・ガード、特にリード・ブローを打つ右のノー・ガードにより、パンチを出しやすく、かつその軌道を読まれないようにしていた。
だが、正統派が変則派の動きに幻惑されパンチを出さずに見ているようだと、変則派の術中にはまるが、正統派が委細かまわずガンガン攻め立てると、変則派は幻惑スキルを見せるヒマがなくなり、肉弾戦になる。
こうなれば、耐久力や防御技術の差が出てくる。
ブュテVSフロッチでは、耐久力でフロッチが明らかに上だった。
ブュテのパンチも何度かフロッチの顔面を捉えていたが、フロッチはまるでへっちゃらだった。
防御技術では、ブュテのようなスピードや動きや攻撃で間に合わせているやり方では、いざそれらの間に合わせを封じられた時にいっぺんに崩れてしまう。
これはやっぱり、スーパー6で超一流と戦い続けて準優勝したフロッチといまだ全勝だがそういう厳しい戦いをしていないブュテとの差が出たのかな?
それはバンタム級でもスーパー4を勝ち抜いたアブネル・マレス(現WBC世界Sバンタム級王者)にも通じるところがあり、若さにまかせた馬力だけでなく、彼もまた真の強者との対戦の連続の中でつかんだ何かを持っている。
マレスもまた、がっちりしたオーソドックスで、ガンガン攻めるファイターだ。
変則にはこういうのがいいのかもしれんなあ。
終わった!
一番気になっていた会則の改正は、原案通り可決した。
水面下で誰かが動いていたようだが、それが表面に出ることはなかった。
簡素で開かれたOB会にしていくにはこれしかないと思うので、とにかく良かった。
責任が果たせた。
役員改選もスムーズに運び、私も何とか会計理事から地区担当理事になることができ、やっと肩の荷が下りた。
ホントは普通の会員に戻りたかったのだが、ほとんど用事もない職からまあいいかと引き受けた。
というわけで、これからは山が呼んでいる。
久しぶりにあった税理士のMさん。
今度、とある銀行の電話税務相談の相談員になるとか。
「相談件数が足りない時は、助けてよ」だって。
ん?
最初、何のことか意味が分からなかったよ。
オレにやらせを持ちかけているのか?
何でまた。
どうやら、あんまり、相談がないようなのだ。
「で、なんぼくれるん?」
「これよ」と指で示した額は?
内緒だ。
OB会の総会が明日あるので、今日はほぼ一日準備に追われた。
しかし、この苦労もようやく今回で終わりかと思うとホッとするね。
今回は役員の改選があり、私の後任は本人の内諾を得ているので、多分すんなり行くだろう。
会則の改正も議案に上げているので、少し説明に時間がかかるかもしれない。
私も頭が良すぎるのか、何か問題が発生しても、パッとひらめき的に解決してしまう性質なのだが、それを他人にわかりやすく説明するということがなかなか出来ない。
しかし、世の中には説明を求めていても、必ずしも理解したいからではないということに気がつかざるを得ない場合もままある。
会則の改正案について、一人だけ「詳しい説明を要す」とか出席の返事のハガキに書いてあるのがあり、その真の意図を推し量りかねている。
こちらとしては、しゃんしゃんと行きたいのだが、こういうのは性格的なものだろうか?
何か面白がっているようにも思えるんだよね。
相手にしてる間がないんだけどな。
しかし、こういうのに限って、十分お相手せずばなるまいて。
「骨と沈黙」(レジナルド・ヒル著)ようやく読了した。
えらく長くかかってしまったが、分厚いのと、桜からバラへと続くお花見シーズンとダブってしまったからだ。
これは英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー受賞作にふさわしい見事な出来映えのミステリだ。
ただし、私のようなひねたミステリ・ファンには、自殺予告の黒婦人(ダーク・レディ)が誰かは、半ばほどで分かってしまったが・・・
自殺も殺人の一種であるから、私のミステリ・フーダニット(殺ったのは誰か)三原則が当てはまる。
このフーダニット三原則だが、次の通り。
1 犯人は登場人物の中にいる
2 一番怪しくない人物が犯人である場合が多い
3 犯罪そのものの特徴が犯人を指し示している
1,2は、はっきり明快なのだが、3は時に自分でも表現が微妙に違うので甚だ恐縮だ。
まあ、これを念頭に、読んで行けば、一通り登場人物が出そろう中盤辺りで、だいたい分かってくるだろう。
私は1の登場人物の内、2で自殺しそうにない人物を何人かリストアップして、3で自殺予告手紙の宛先にダルジール警視を選んだという行為に着目した。
ダルジールに関心を寄せている人物とは誰か?
そう、まさか、まさか、その人なのだ。
こういう、ミステリを技法的に読む読者って、自分で言うのも何だけど、つくづく、つまらないと思うね。
もっと愉しまなきゃあ。
だが、現代本格ミステリは、上記フーダニット三原則を乗り越えるものでなければ新鮮味がないと思うのだ。
以前に紹介した「謝罪代行社」(ゾラン・ドヴェンカー)はその一つだ。
それでも、時には、こうした「骨と沈黙」のような言わば古いタイプのミステリも息抜きとして楽しいと思う。
レジナルド・ヒルの小説は、1文章表現が巧み、2英文学の引用が多々ある、3シニカルな露悪趣味がある等の特徴があり、深みはないが軽くもなく、ほどよくできた匠の技という感じがする。
ただ、やはり、少し長いので、「薔薇は死を夢見る」を先に読むことをオススメする。
しかし、何だね、こういう教養がにじみ出るような作品を読むと、私もチクチク刺激されるね。
40歳になった時、これからはいつか読もうと思って読めなかった古典を読んでみようと決心した。
そして、「こういうのは十代の時に読んでおかなければいけなかったんだがな」などと独りごちながら読み始めていつしか年月が経ってしまった。
気がつけば、あれから結局読んだのは、「ギルガメシュ叙事詩」、「史記」(司馬遷)、くらいしかないではないか!
「法の精神」(モンテスキュー)は途中で投げ出したし、「万葉集」も拾い読みしたのみ。
「君主論」(マキアヴェリ)も確か君主国の分類から一歩も進まず・・・くそ、どれだけ無意味に時間のみ過ぎ去ったことか。
「フリンジ2」も追いついたことだし、積ん読本の整理をしなければ・・・
今朝、丸田バラ園を再訪した。
小バラが盛りを迎えていて、雰囲気が一変していた。
大輪のバラもいいが、可愛い小さなバラもいいね。
特に、ここは「真珠貝」という名札のある小さなバラが無数にトンネルを形作っているのがあり、目を奪われる。
バラの名前を覚えるのはとうにあきらめているが、「ブルームーン」とここの「真珠貝」だけは覚えている。
これを見るだけでもここへ来た価値があるというもの。
一通り撮って、帰ろうとしていたら、K・Yさんに会った。
「何回目?」と言うので、「2回目。何回目?」と聞くと、「5回目」だって。
すごいな。上には上がいるものだ。
お友達を連れていたみたいだったから、丸田バラ園を案内していたのかも。









